彼らにとっての伝統とは、温室の中で後生大事に保管されるものではなく、時代と共に進化しながら新鮮な輝きを放ち続ける存在なのである。
ヨーヨー・マ……クラシック音楽に関しては全くの無知、チェロとコントラバスを即座に見分けることすら怪しい筆者でも、この世界的チェリストの名前ぐらいは聞いたことがある。映画絡みで頭に浮かぶのは、『スクール・オブ・ロック』(03年)のニセ教師ジャック・ブラックが語っていた思い出話(「僕の代わりに、ヨーヨー・マのいとこが縁故採用されたのさ」というトンデモな与太!)や、武侠映画『グリーン・デスティニー』(00年)で彼とコラボレートした作曲家タン・ドゥンが、第73回アカデミー賞において作曲賞を獲得したことなど(最有力候補だった『グラディエーター』のハンス・ジマー、会場トイレで泣き濡れたに違いない)。本作は、そんな有名人の名を冠したドキュメンタリー映画ではあるものの、「重要文化財の仏像だけが目玉」みたいな廃れ寺的作品とは違う。それぞれ全く異なるバックグラウンドを持ったミュージシャンたちが寄り集まり、演奏し、異文化に触れることでアイデンティティを確立していく、いわば音楽版『アベンジャーズ』(12年)みたいなものだ。
ヨーヨー・マの呼びかけで結成された多国籍音楽家集団“シルクロード・アンサンブル”の顔ぶれは実に多彩、そして多才である。彼等の「音楽かくあるべし」という既成概念にとらわれない開放的な演奏はしかし、順風満帆なバラ色キャリアの中で育まれてきたものとは限らない。ワケあって故国から逃れてきた者、「伝統音楽を堕落させた」という謂れ無き非難と戦う者、政府による芸術の取り締まりで、演奏行為そのものを制限されてしまった者……皆、それぞれの人生で己の非力を痛感し、存在意義について自問し続けながら、それでも音楽が持つ可能性を信じて試行錯誤を繰り返す。彼らにとっての伝統とは、温室の中で後生大事に保管されるものではなく、時代と共に進化しながら新鮮な輝きを放ち続ける存在なのである。
独自の演奏スタイルを持ちながら決してそれに凝り固まることなく、外からの刺激と内なる葛藤を糧に成長していくアーティストたち。作中で危機感をもって語られる「革新が無くなったとき、伝統は死んでしまう」という言葉に、彼等は音楽という共通言語で立ち向かい、演奏することで理想を体現しようとしているのだ。そんな人々がアンサンブルで織り成す音楽は、だからこそ色彩豊かで伸びがある。日頃から聴き慣れたポピュラー音楽なんかとは全く異質であるはずの旋律が妙に耳に馴染むのも、そこに共鳴を呼び起こす「何か」が宿っているからこその現象だろう。
「“夢”を音楽でどう表現する?(作品の主調色である)“赤”はどうだろう?」……火星を舞台にしたSF映画『トータル・リコール』(90年)のメイキング映像で、作曲家ジェリー・ゴールドスミスがそんなことを語っていた。言語化が困難、あるいは不可能なニュアンスを如何にして楽曲に練り込み、聴衆に伝えるか?音楽を作る人であれば、幾度となくぶつかるはずの難題だ。絶対的な正答など無いし、多大な時間と労力をつぎ込んだところで、納得のいく結果が得られる保証も無い。だが、不定形で漠然とした世界だからこそ、そこかしこに「お宝」が漂っている可能性もまた無限大。飽くなき探求を続ける“シルクロード”メンバーのような人たちがいる限り、音楽界の宝探しはいつまでも終わらないことだろう。
監督:モーガン・ネヴィル
出演:ヨーヨー・マ、ケイハン・カルホール