2019年
監督:マイク・フラナガン
出演:ユアン・マクレガー、レベッカ・ファーガソン、カイリー・カラン、クリフ・カーティス、カール・ランブリー、ヘンリー・トーマス
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/doctor-sleep/
39年遅れで誕生した“ヤンチャな弟”
40年前、雪に閉ざされた展望ホテルでの惨劇を生き延びたダニー・トランスは、今ではホスピスの職員として終末期看護に従事している。超能力=“かがやき”を使い、臨終の時を迎えた者の不安や苦痛を癒すことができるダニーは、入居者から“ドクター・スリープ”と呼ばれ、信頼される存在だった。そんな彼にテレパシーで接触してきたのが、桁外れに強い“かがやき”を持つ少女アブラ。同じ能力で繋がった2人は次第に親睦を深めていくが、ある日アブラがキャッチしたのは、少年が謎の集団に惨殺されるヴィジョンだった。謎の集団の正体は、超能力者の命気を食らって生きる“真結族”であり、次なる獲物を探し求めていた彼らは、とうとうアブラの強力な“かがやき”にも狙いをつける。ただならぬ気配を察知したダニーは、少女の命を守るべく、真結族と戦うことを決意するのだが……。
『2001年宇宙の旅』(68年)、『時計じかけのオレンジ』(71年)の巨匠スタンリー・キューブリックが、スティーヴン・キングの同名小説を映像化した『シャイニング』(80年)。ジャック・ニコルソンの鬼気迫る怪演や、ステディカムを駆使した流れるような移動撮影が話題を集め、エポックメイキングな叙事詩的ホラー映画として確固たる地位を確立した作品である。そんな『シャイニング』の39年ぶりの続編映画こそ、本作『ドクター・スリープ』。しかしこの映画、寡黙で気品に満ち、徹頭徹尾ドライだった前作とは、作品のトーンがだいぶ異なるのだ。
キューブリック監督の『シャイニング』について、原作者のキングが度々不満を表明してきたことは広く知られている。曰く「外見ばかり立派で魂が無い」、「主人公が最初から狂っている」、「ホテルの持つ悪の性質について理解不足」、「ホラーとは何なのか、まるで分かっちゃいない」……と、まぁケチョンケチョン。何年喚き続けても腹の虫がおさまらなかったキングは、ついにキューブリックから『シャイニング』の続編・リメイク製作権を取り返し、TVミニシリーズという形の再映像化まで果たしてしまう(ちなみに、ミック・ギャリス監督が手掛けたこのTVドラマ版『シャイニング』(97年)はジャンクなお化け屋敷感覚に溢れた佳作であり、これはこれで楽しい)。キングのこのような抵抗にあっても、キューブリック版『シャイニング』の名声には毛筋ほどの傷すらつかなかったわけだが、斯様な舞台裏でのゴタゴタは、『ドクター・スリープ』の映画化を任された面々に大きなプレッシャーと課題を残した。完全に「小説版『シャイニング』の続き」として執筆された原作に、キューブリック版の意匠も少なからず反映させて1本の映像作品を完成させなければならない。しかも、超自然的ホラーと心理サスペンスの交差ポイントを鋭く射抜いた映画『シャイニング』とは違い、今回はキング好みのスーパーナチュラル要素が隠しようもないほどにテンコ盛りなのだ。誰がどう撮ったところで、“伝説の名匠”キューブリックと比較して評される運命は不可避(そして十中八九、天秤が悪評側に傾く)。こんな仕事、大乗り気で受けてくれる人物がいるのだろうか……早々に映画化権を獲得したはずのワーナー・ブラザーズが、なかなか企画にゴーサインを出せなかったのも無理からぬ話である。しかし光明はあった。それは監督にマイク・フラナガンを獲得できたことだ。
マイク・フラナガン。日本での知名度はまだそれほど高くはなく、フィルモグラフィーを振り返ってみても、ささやかな予算で作られた小規模ホラー映画がほとんどである。しかし、魅力に乏しいオカルト映画『呪い襲い殺す』(14年)の続編『ウィジャ ビギニング~呪い襲い殺す~』(17年)で非凡な才能を発揮し、キング原作の限定空間スリラー『ジェラルドのゲーム』(17年)でも極めて高い評価を得た実力の持ち主だ(手錠でベッドに繋がれた熟女を主人公にストーリーの大半が進行していく『ジェラルド~』原作を読んで、「これは立派な長編映画になる!」と予想できた人が果たしてどれだけいたことだろう)。キング・マニアであると同時に熱心なキューブリック信奉者でもあるフラナガンこそ、絶妙なバランス感覚と度胸が不可欠な『ドクター・スリープ』の監督に打ってつけの人材だった。脚色も兼任したこの才知満々の俊英は、映画『シャイニング』とキングの続編の間に生じた不正咬合を矯正する一方、呆れるほどの思い切りの良さで“かがやき”を持つ者と真結族とのサイキックバトルを演出し、同時に2人の巨匠へのオマージュも随所に鏤めている。『ダーク・タワー』シリーズに登場する、人知を超えた作用〈カ〉への微かな接触、『ドリームキャッチャー』(03年)で観客の度肝を抜いた“記憶倉庫”の再登場、悪霊を封印する概念としての“魔法の箱”をモロにヴィジュアライズしてみせたシーンなどはキングのファンならニヤリとするだろうし、映画版『シャイニング』冒頭の空撮を天候違いで完コピしたショットや、雪に埋もれる廃墟と化した展望ホテルの禍々しさは圧倒的だ(『シャイニング』をTV画面でしか観たことのなかった筆者、スクリーンに映し出されたホテルの迫力に思わず「……デカい」と声を漏らした)。
正直、無い物ねだりと自覚している点を含めて「惜しい」と感じた部分もいくつかある。敵の首領であるローズ・ザ・ハットがアブラの意識を“走査”する場面や、体外に漂い出た命気の映像表現、真結族の光る眼など、他の映画なら全く気にならない程度のVFXが本作では妙に違和感を残す。そうかと思えば、ある重要キャラクターとダニーが対峙するシーンでは「コレ、今の視覚効果技術を使って何とかならなかったのか……」と、内なる欲しがり屋さんが頭を擡げてしまう始末(幽霊ホテルの敷地内でも、無闇に肖像権を侵害するわけにはいかないようで)。つまりはキューブリック版『シャイニング』のイメージが、それほどまでにガッチリと脳内に食い込んでいる、ということだろう。だが今更キューブリックの模倣に走ったところで、そんなものは所詮虚しい猿真似。そもそも、キングが積年の鬱情を炸裂させた『ドクター・スリープ』は、キューブリック的論法でどうにかできるタイプの物語ではないのだ。頭脳明晰かつ冷静な兄と、ヤンチャで熱血漢な弟、といった感じの2作品。今はまだギクシャクしている両者の仲も、これから時が経つにつれ、次第に良好なものへと変化していくのかもしれない。
最後に、キャスト陣についても少しだけ言及しておきたい。ついに“フォース”と“かがやき”という2大パワーの使い手となったユアン・マクレガー、相変わらずのデラべっぴんぶりが眩しいレベッカ・ファーガソンは当然のごとく好演しているが、本作は子役たちの演技が特に素晴らしい。半年に及ぶオーディションを経て、900人の候補者の中から抜擢されたアブラ役カイリー・カラン、幼さと妖艶さが同居する容姿から危険な香りを漂わせるスネークバイト・アンディに扮したエミリー・アリン・リンド、“かがやき”を持つ野球少年ブラッドリー役のジェイコブ・トレンブレイ……と、次世代のスター候補生がズラリ。さほど出演シーンの多くないブラッドリーを『ルーム』(15年)の天才子役に演じさせるなど、もったいないオバケの慟哭が聞こえてきそうだが、撮影現場ではトレンブレイの演技を見たオトナ共演者たちが、あまりの迫真性に色を失うという一幕もあったのだとか。全体のクオリティもまずは細部から。こういうちょっとした配役を疎かにしないあたり、判で押したような抱き合わせキャスティングばかり連発する連中に、少しは見習ってもらいたいものである。