西島秀俊主演の映画『クリーピー 偽りの隣人』をレビュー
[2016年 監:黒沢清 出:西島秀俊、香川照之、竹内結子、川口春奈、東出昌大]
一年前の連続殺人事件がきっかけで刑事の職を辞した高倉幸一。妻の康子と共に郊外の一軒家へ引っ越した高倉は、隣家に住む西野雅之とその娘の挙動から何か不審なものを感じ取っていた。ある日、刑事時代の同僚・野上から未解決の一家失踪事件に関する再調査への協力を持ち掛けられた高倉だったが、事件唯一の生き残りである長女からの聞き取りでも、謎は更に増すばかり。そんな折、自宅前で西野の娘・澪と鉢合わせした高倉は、怯える彼女の口から出た言葉に愕然とする。「西野雅之」と名乗る男は、実は澪の父親でも何でもない、全くの他人だというのだ……。
原作は、第15回日本ミステリー文学大賞新人賞に輝いた前川裕の犯罪小説(光文社文庫・刊)。『CURE キュア』(97年)や『トウキョウソナタ』(08年)、『岸辺の旅』(15年)等で国内外から高い評価を得た鬼才・黒沢清が監督を務めている。
ネットの映画レビューサイトを開いてみれば一目瞭然なのだが、この映画、賛否の分かれ方が随分と激しい。しかも、肯定派にとってのお気に入りポイントが、否定派の目には看過し難い欠点として映っていたりするのだ。確かに、黒沢作品ファンが「いよっ、待ってました!」と大興奮する描写の中には、それ以外の人々を大いに困惑させるようなものも含まれている。不穏かつ表現主義的な美術セット(さすがに『カリガリ博士』(20年)ほどモロな見せ方はしないが)、どことなくおかしい登場人物たちの立ち居振る舞い、黒沢映画のトレードマークでもある、風変わりな車内撮影……特に本作は、リアルなクライム・サスペンスとして成立させる手もあったはずの原作小説つき映画。「カッコいい西島秀俊が難事件をカッコよく解決」みたいなストーリーを期待していた観客が、いきなりアングラ演劇を観させられたような感覚を味わったとしても不思議ではない。
周囲の無関心やお粗末な警察の捜査にも助けられ、さして巧妙とも思えないカモフラージュでその他大勢の中にまんまと溶け込んでしまう謎の男・西野は、控えめに評しても違和感の塊のような人物である。だが、試しにこの映画を、今ハリウッドで大流行り中の「○○シネマティック・ユニバース」方式に当てはめてみたらどうだろう?劇中の世界は、元力士の殺人ガードマン(『地獄の警備員』)や、赤テープで目張りされた部屋から出現する幽霊(『回路』)、スランプで泥を吐く女流作家(『LOFT ロフト』)なんかが当然の如く同居する混沌空間なのかも……そう考えれば、布団圧縮袋で死体をラッピングして押入れに打っちゃらかすような、ザツな犯罪者の1人や2人いたとしても当然、とさえ思えてくる。もちろん、これは明らかに深読み・曲解だが、本作の奇妙な事象アレコレを呑み込み易くする上ではなかなか有効で愉しい妄想である。シュールで危険、それでいてついつい足を踏み入れてみたくなるKUROSAWAシネマティック・ユニバース……そこでは不健全で薄気味悪いものほど、妖しく蠱惑的な魅力を放つのだ。
劇中、最も目立っているのは西野役・香川照之の怪演だが、西島秀俊や竹内結子が披露するコントすれすれのパラライズ演技も絶妙で、香ばしいことこの上ない。ヌボーッとした独特の佇まいのせいで、作品によっては異物感ばかりが悪目立ちしてしまう東出昌大も、本作には物凄く馴染んでいる。なかでも地味にコワい存在なのが、藤野涼子扮する西野の「娘」・澪。その場その場でコロコロと表情が変わり、一体どこまでがマインド・コントロールの影響なのか、あるいは計算ずくの擬態なのか、まるで判然としないのだ。『CURE キュア』のラストよろしく、西野の「病毒」が澪に受け継がれ、いつの日にか、より洗練された悪となって開花したとしたら……恐怖のパンデミックは、エンドクレジットのさらに先で待ち受けているのかもしれない。