フィギュアスケート界の大スキャンダルを描いた話題作、先行レビュー!
[2017年 監:クレイグ・ギレスピー 出:マーゴット・ロビー、セバスチャン・スタン]
1970年、オレゴン州ポートランドの貧しい家庭に生まれたトーニャ・ハーディング。威圧的な母ラヴォナに言われるままフィギュアスケートの世界に入ったトーニャは、スケーターとしてめきめきと頭角を現し、ついには「アメリカ女性初のトリプルアクセル成功」という栄光を掴み取る。しかし、幸せな時間は長続きせず、その後の成績は伸び悩み、夫ジェフとの結婚生活もやがて破綻。人生の崖っぷちに追い込まれたトーニャは、リレハンメルで開催されるオリンピックに向けて猛特訓を開始する。一方、トーニャに未練タラタラの元夫ジェフは、彼女がオリンピック代表権を手に入れられるようにと、友人のショーンに「ある計画」を持ち掛けるのだが、これがやがて、フィギュアスケート界を震撼させる一大スキャンダルへと発展してしまう……。
とある家の中、美女と美男が激しく争っている。顔面パンチにチャランポ、肘打ち、金的蹴りと、次々繰り出されるエゲツない攻撃。引っ切り無しに罵声が飛び交い、家具は派手にブッ壊れる。怒り狂った女は、とうとう散弾銃の引き金に指をかけ……アクション映画のワンシーンとしては、さほど珍しくもない光景だ。ところが、コレが夫婦ゲンカで、しかも実在の人物の半生を描いた伝記映画のひとコマとなると、あまりの過剰暴力に呆れ果て、然るのち爆笑するしかない。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、にわかには信じがたい数々のエピソードと、これまた信頼できない語り手たちの自己流事象解釈、それらが渾然一体となったパワフルなヤミ鍋トラジ・コメディ(悲喜劇)だ。
1994年のリレハンメル五輪直前に起きたナンシー・ケリガン襲撃騒動、そして本大会フリー競技での「靴ヒモ事件」によって、トーニャ・ハーディングは世界的な嫌われ者としてのポジションを確立した。当時小学生だった筆者も、スケート靴を指差しながら泣きじゃくるトーニャの姿がワイドショーで繰り返し流されるのを見て、なんて甘ったれたお嬢様なのだろう、と苦々しく感じていたものである(イヤなワッパですね)。しかし実際のトーニャは、深窓の佳人どころかゴリゴリの貧乏育ち。酸素と暴力の濃度がドッコイドッコイという劣悪な環境の中、スケートに己の全てを賭けて戦ってきた不屈のワンダーウーマンだった。競技用の衣装は手ずから製し、スポンサーがつかなければアルバイトでお金を工面。『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)のヒラリー・スワンクにも通ずるこのド根性、ハンカチ必携の感動映画に仕立てるには持ってこいのカード……のはずが、本作を観ながら込み上げてくるのは涙ではなく、なんと「笑い」なのである。
スプラッター映画の過激な描写が時として観客の笑いを誘うように、この映画における唐突且つやり過ぎな暴力は陰惨というよりもむしろ滑稽で、時には奇妙な爽快感さえ伴う。競技シーンはもちろん、陰気な会話の最中でも躍動し続ける映像は、ポール・ヴァーホーヴェン監督が『ロボコップ』(87年)で用いたカメラワークのアップデート版、といった感じだ。そして、自分を切れ者だと思い込んでいる大バカ連中が浅知恵を持ち寄り、せっせと墓穴を掘り進めた挙句に自滅していく過程というのは、それを傍観する者にとっては(少なくとも映画で観察するぶんには)滅法可笑しく、賞味せずにはいられない悪魔の御馳走である。「他人の不幸で今日も飯が美味い」、いわゆるメシウマの感覚は、上質なトラジ・コメディ映画とは切っても切れない関係にあるのだ。
脚本に惚れ込み、プロデュースも兼任した主演のマーゴット・ロビーは、「ただ共感を呼び起こすだけでは不十分」という難役に体当たりで挑戦。その演技は高く評価され、第90回アカデミー賞では主演女優賞にノミネートされた。助演陣も、トーニャの鬼ママ・ラヴォナ役で見事オスカーを勝ち取ったアリソン・ジャネイ、短慮なDV男ジェフに扮したセバスチャン・スタンなど、芸達者な顔が並んでいる。そんな中でも筆者の心を鷲掴みにしたのが、ポール・ウォルター・ハウザー演じるジェフの悪友ショーン。自称・元秘密諜報員で今は自宅警備員、次から次へと余計な行動を取って関係者全員を地獄へと引きずり込むコイツは、全ての登場シーンで異様にギトギトした存在感を放っていた。スクリーンに顔が映るだけでブッ飛ばしたくなるキャラクターなど、そうそうお目にかかれるものではない。ショーンを主役にしたスピンオフ作品とか、どこかのイカモノ好きな変態監督にでも撮ってもらいたいものである……十中八九、興行は散々な結果に終わるだろうけど。