2020年
監督:セリーヌ・ヘルド&ローガン・ジョージ
出演:ザイラ・ファーマー、セリーヌ・ヘルド、ファットリップ、ジャレッド・アブラハムソン
公式サイト:https://littles-wings.com/
闇の夢、光の現実、小さな希望
ニューヨーク。地下鉄のさらに下、暗い迷宮のような空間でギリギリの生活を送っているコミュニティがあった。そこで母のニッキーと暮らす5歳の少女・リトルの夢は、いつか地上へ出て、絵本で見た“星”を探すこと。だがある日、不法居住者を立ち退かせんとする市の職員たちの出現によって、母子の日常は急転する。ニッキーに連れられて地上へと飛び出したリトルを待っていたのは、目が眩むほどの光と凄まじい騒音、そして街を行き交う人の群れ……地下の暗闇で育ったリトルにとって、地上はあまりに刺激が強すぎた。安全に過ごせる場所もない冬の大都市で、次第に疲れ、追い詰められていく母と娘。果たして、2人に希望の光は降り注ぐのだろうか……。
短編映画『Caroline』(18年)で注目を浴びたセリーヌ・ヘルド&ローガン・ジョージによる長編デビュー作。ヘルドは監督と脚本の他に、主役のひとりであるシングルマザー、ニッキー役も務めている。
本作の脚本を執筆するにあたり、ヘルドが大いに影響を受けたというジェニファー・トスの著作『モグラびと ニューヨーク地下生活者たち』。この本が出版された1993年当時、ニューヨークの地下には数千人近い浮浪者がおり、遺棄された地下道や線路脇で息を潜めて暮らしていたそうである。彼らは煌びやかな大都市の裏の顔を示す記号的存在として、映画の中にも度々登場。『ミミック』(97年)や『C.H.U.D. チャド』(84年)等のホラー映画では、怪異の影響を真っ先に被る犠牲者(一部は加害者)という役割が与えられた。ちなみに“チャド”とは、“Cannibalistic Humanoid Underground Dwellers(地下の人喰い人種)”の略称であるが、前述の『モグラびと』によれば、かつてニューヨークの保線作業員は地下生活者たちを指す隠語として、この呼称を実際に用いていたのだとか。何とも酷い話であるが、地下で仕事にあたる作業員からしてみれば、暗闇に潜む謎多きアンダーグラウンド・ピープルは同情よりもむしろ恐怖を呼び起こさせる存在だったのだろう。
本作に登場する地下生活者たちは、以前にどういう暮らしをしていたのか、いかなる経緯でコミュニティに加わったのか、各々のバックグラウンドは殆ど分からない。主人公であるニッキーに関してもそれは同様で、頼れる親類や友人が身近にいないこと、薬物依存に陥っていることなどがポツリポツリと提示される程度だ。僅かばかりの生活費を稼ぐために独り地上へ出て春をひさぎ、ギャングやコミュニティの仲間からドラッグを買い受けるニッキーの現況は、身から出た錆なのか、はたまた人一倍の不幸に見舞われ続けた結果なのか。そこがハッキリとは描かれないため、彼女が常にいっぱいいっぱい、ギリギリの精神状態にあることを理解していても、劇中におけるニッキーの選択や痛恨のエラーには、正直言ってイラッとさせられる瞬間が多々ある。
どん底にいるこのシングルマザーについて確かなものとして映るのは、5歳の娘リトルへの強い愛情だが、ここにもまた依存がある。今の生活を続けることが、娘の未来を殺すことになりかねないと分かっていながら、状況を打破するための一歩が踏み出せない。定職を持たぬジャンキーが外の世界でも“母”たり得る可能性は限りなく低く、そのことへの恐れがニッキーを地下の暗闇に縛り付けている。寒空の下に放り出された母子が当て所なく街をさまよう後半パートは、回答を先延ばしにしてきた問題の深刻さと痛みが濁流となってニッキーに襲いかかる、地獄めぐりの小旅行だ。おぼろげな理想、それを頑として阻む否応なしのリアル。これ以上現実から逃避することが叶わないと悟ったニッキーの選択は、それまで彼女に感じていた苛立ちを帳消しにするほどに重い。この決断が各人のバラ色の未来を保証する担保となるわけではないが、少なくとも小さな希望は残る。程度の差こそあれ、日々さまざまな決断を積み重ねて生きている我々にとって、この映画で紡がれる物語が決して遠い世界の稀有な出来事ではないのだと感じさせてくれる瞬間だ。
『モグラびと』刊行後、特に2000年代に入ってからはニューヨークにおける地下生活者コミュニティの取り締まりが強化され、今ではごく少数の居住者と微かな過去の名残があるだけ、とのこと。人がホームを失えば、当然どこかに移り住む。一念発起して社会復帰を遂げた者もいれば、新たな道を見出せないまま腐泥に沈んでいった人もいるだろう。しかし人生に浮き沈みが伴うのは、地上で暮らす人たちとて同じことだ。見方を変えれば我々もまた、べらぼうに大きなトンネルに住まう“モグラびと”なのかもしれない。
【映画『きっと地上には満天の星』は8月5日(金)より、
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ他にて全国順次公開】
※新型コロナウイルス(COVID-19)感染症流行の影響により、公開日・上映スケジュールが変更となる場合がございます。上映の詳細につきましては、各劇場のホームページ等にてご確認ください。