2021年
監督:石井裕也
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、大塚ヒロタ、芹澤興人、前田亜季、笠原秀幸、鶴見辰吾、嶋田久作、永瀬正敏、オダギリジョー
公式サイト:https://akaneiro-movie.com/
※この映画はR15+指定作品です
生ある限り精一杯
7年前、交通事故で夫を亡くした田中良子は、仕事を掛け持ちしながら中学生の息子・純平を育てる気丈な女性。しかし、日々の暮らしの中でどれほど屈辱的な扱いを受けても怒らず、動じない母の姿に、純平は違和感を覚えてもいた。弱者を食い物にする連中からの冷たい仕打ち、理不尽なルール、エスカレートするイジメ……やがて到来したコロナ禍によって、母子の暮らし向きはますます厳しいものになっていくが、そんな状況にあっても、良子は前へ前へと力強く進み続ける。彼女はどこへ向かうのか?はたして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは……?
『川の底からこんにちは』(10年)、『バンクーバーの朝日』(14年)の石井裕也監督が、『真幸くあらば』(10年)やNHK連続テレビ小説『カーネーション』(11年~12年)等で知られる人気女優・尾野真千子を主演に迎えて作り上げたヒューマンドラマ。石井監督の長編映画としては、現時点で最長(2時間24分)の完成尺となった本作だが、卓越したストーリーテリング能力と俳優陣の熱演によって、退屈とは無縁のパワフルな傑作に仕上がっている。
この映画、ストーリーに組み込まれた社会問題の数と量がとにかく多い。物語への没入感を高め、登場人物の境遇に強い同情の念を抱かせるため、敢えて深刻かつ生々しいソーシャルイシューを作品に反映させる……その手法自体は別段珍しいものではないのだが、『茜色に焼かれる』では、そういった時事ネタが次から次へと投擲され、キャラクターと観客に波状攻撃を仕掛けてくる。職業差別、性暴力、共同絶交、学校でのイジメ、身を粉にして働いても真っ赤なままの家計簿、その他、その他。最近よく耳にするようになった、いわゆる上級国民問題までもが顔を覗かせ、さながら「剥き出し・負のにっぽん」状態。嫌な出来事が延々と続くので、観ているコチラもかなり心が削られていくのだが、どの問題も“対岸の火事”と突き放すにはあまりに身近で普遍的なものであり、そのせいでスクリーンから目が離せなくなってしまう。「透明な手に頭と瞼を固定され、否応なしに眼前の光景を見させられるような感覚」とでも表現するべきか。ハッキリ言って、そんじょそこらのホラー・サスペンス映画よりもよっぽど恐ろしく、身につまされる内容である。
そこへトドメとばかりに押し寄せてくる災厄こそ「現実と地続きの問題」の最たるもの、言わずと知れた新型コロナウイルスの大波。現在、映画やドラマの現場では、役者さんもメイク崩れなど二の次でマスクやフェイスシールドを着用、本番撮影の時だけサッと外して素早く収録……といった地道な努力が続けられているが、この映画ではコロナ禍における生活様式の変わりようを、包み隠すどころか全編にわたって堂々と曝け出す。登場人物たちは多くの場面でマスクを着けたまま。消毒用品はしょっちゅう映り込み、どこへ行ってもアクリル板やビニールの仕切りが存在する。もはや当たり前となってしまった光景ではあるものの、これらの小道具・装飾物が平気な顔をして画面内におさまり、そのことに関して受け手が何ら説明を必要としない状況というのは、やはり普通とは思えない(数十年後、此度の世界的混乱のことなど露程も知らない人たちが本作を観て何を感じるか、非常に興味深いところではある)。仕切りやソーシャル・ディスタンスは相互不理解、あるいは断絶を示すための可視化された“壁”として機能し、そんな大変な時代でも(いや、大変な時代だからこそ、か)他人の弱みに付け込んで己の欲望を満たそうとするゲス共がわんさといる。何たる息苦しさ、何という胸クソの悪さ。GOING UNDER GROUNDの元メンバー、河野丈洋の手による美しい劇伴に紛れて、三上寛の昭和怨歌まで聞こえてきそうな勢いだ。
こうなってくると、追い詰められた主人公が「アーッ!!」とか「ワーッ!!」とか絶叫して感情を爆発させるのが昨今の邦画にありがちな流れであるが、良子はなかなかその手を見せない。逆に、どんな酷い目にあっても侮辱されても動揺の色をほとんど出さず、「まあ、頑張りましょう」とだけ言ってサッサと次のアクションに移行していく。物語序盤におけるイヤミな弁護士との対話場面など、相手の舐め腐った態度に激昂するどころか薄ら笑いを浮かべてやり返す良子の姿は、逞しいというよりも寧ろ不気味ですらある。言動にも矛盾点や不可解な部分が多いため、前半部ではこの主人公への感情移入がなかなかスムーズにいかないところもあるのだが、中盤、良子が仕事仲間に心情を吐露し始めるあたりから、そんなモヤついた気持ちがみるみる氷解していくのと同時に、映画全体のルックスもガラリと変わるのだ。合理性だの効率だのと頭では理解していても、それに沿った選択ばかりできるわけではないのが人間であり、人生。生きる理由すら見失いかけるほどのギリギリな精神状態であったなら尚更のことだろう。良子が無敵のアイアンレディなどではなく、どうしようもないほどに“人間”であるのだと強烈に印象付ける尾野真千子の入魂演技には、ただただ圧倒されるばかり。虫ケラ同然に扱われ続けてきた良子がついに感情爆発するくだりも、他の映画なら鼻白んでしまうところ、ここでは「いったれや、カアチャン!」と拍手喝采を送りたくなるほどである(彼女だけでなく、本作のキャスト陣は全員が適材適所で良い演技を見せている。とりわけ、良子に負けず劣らずな不幸の淵でもがくケイ役・片山友希が素晴らしい)。
三浦しをん原作の映画『船を編む』(13年)では、辞書の編纂という気の遠くなるような仕事に携わる人々を描いた石井監督。『茜色に焼かれる』でも、登場人物たちの今後の安寧を保証するようなメデタシメデタシ的結末が用意されているわけではない。辞書にも人生にも決定版など存在せず、挑んでは失敗し、また編み直すことの繰り返し。しかし、そこでめげずに精一杯戦い続けてみたならば、その過程で希望を見つけ、生の活力を得ることができるかもしれない。「生きて、生きる」……この殺伐とした時代においては、より深く心に突き刺さるメッセージだ。
【映画『茜色に焼かれる』は5月21日(金)より、
TOHOシネマズ日比谷、ユーロスペース他にてロードショー】
※新型コロナウイルス(COVID-19)感染症流行の影響により、公開日・上映スケジュールが変更となる場合がございます。上映の詳細につきましては、各劇場のホームページ等にてご確認ください。