(2014年 監:クリストファー・ノーラン 出:マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ)
1に体感、2に理解
すんなり受け入れるのが難しい作品だ。理論物理だ量子力学だと、劇中で交わされる会話の意味を理解することばかりに気を取られていると、肝心のストーリーを見失ってしまう可能性がある。しかし一度目の鑑賞において、あまり細部に気を取られる必要は無い。「元宇宙飛行士が、地球存亡の危機に直面する。どこかにあるかもしれない入植可能な惑星を探すべく、彼は二人の子供を地球に残して、再び宇宙へと旅立ってゆく」……TVスポットや予告編からも読み取れるこのあらすじさえ知っていれば十分、あとはとりあえず観てほしい。なぜ急かすようなことを言うのかといえば、本作は劇場の大スクリーンで鑑賞するのとテレビモニターで鑑賞するのとでは感動の度合いがまるっきり違うと断言できるからだ。
『ダークナイト』(08年)以降、ノーラン監督が度々使用してきた伝家の宝刀・IMAXカメラ。高画質だが扱いにくいこのカメラを、今回は撮影監督ホイテ・Ⅴ・ホイテマ協力のもと、機動性に特化して大幅改造。「手持ち風のラフさを感じる動的カメラワーク、かつ映像は超クリア」という、他所ではちょっとお目にかかれない異質なヴィジュアルが成立している。ただ畑が映っていたり、氷河が映っていたりするだけの映像が、文字通り「圧倒的迫力」でもって迫ってくる感覚。「ハリウッドお家芸のスゴい特殊効果で驚かせてもらおうっと」なんて思惑で劇場へ向かった筆者にはうれしい誤算だった。
「動」に圧倒された後には、「静」のエモーショナルな展開が待っている。地球と宇宙での時間速度のズレが、親子間の摂理の一つである「年齢」を逆転させてしまうのである。特にビデオレターを使って表現されるシークエンスでの、M・マコノヒーの演技が素晴らしい。数時間前(地球時間では数十年前)にはほんの子供だった息子と娘が、今は……という場面での、それこそ「感情滂沱として流る顔」の見事さといったらないのだ。本作と似た設定の『コンタクト』(97年)の頃はただのトッポいニイちゃんだったマコノヒーが、子を想う親父の顔になっている!!ここ最近エキセントリックなキャラを演じ続け、『ダラス・バイヤーズクラブ』(13年)でオスカーを手にした彼のネクストステージは、案外「普通の人間」を演じるということなのかもしれない。
クライマックスにむけて場面転換はいよいよ激しさを増し、謎解き要素も加わって観る者を翻弄する。初見で頭の中が「?」だらけになる方も多いだろう。約170分という上映時間に身構えてしまうかもしれない(特に小さな子供にはトイレ我慢は苦行だ。ウーム……)。しかし最高の環境で『インターステラー』を観ることができるチャンスを、「難解だ」「長い」等の理由でフイにしてしまうのはあまりに惜しい。リバイバル上映の機会が与えられる作品を除けば、大スクリーンで視聴できるチャンスは二度と無いのだから。
劇場では「体感」を。ソフト化され、再度観た際に「細部理解と答え合わせ」を。本作の鑑賞には、この方法がベストであると思う。
※追記:主人公の娘・マーフの幼少期を演じるマッケンジー・フォイ。可愛いうえに、ベテラン俳優陣にも負けぬ抜群の名演を見せる。今後が楽しみな逸材である。