2019年
監督:サイード・ルスタイ
出演:ペイマン・モアディ、ナヴィッド・モハマドザデー、ファルハド・アスラニ、パリナーズ・イザドヤール
公式サイト:http://just6.5andwarden.onlyhearts.co.jp/
居心地の悪さを抱かせる力作
薬物汚染と貧困が蔓延する街。違法薬物の撲滅を目的とした警察特別チームの一員であるサマドは、麻薬密売組織の大物ナセル・ハグザドを追い続けていた。長きにわたる執念の捜査の結果、ついに標的の所在を掴んだサマドは、ナセルを逮捕し刑務所に収監する。買収や外部との連絡等の手段を用いて無罪放免を目論むナセルと、彼から麻薬組織に関する更なる情報を引き出そうとするサマド。善と悪の境界が曖昧になった獄内で、2人の男たちによる「静かなる決闘」が幕を開けた……。
本国イランで大ヒットを記録、第32回東京国際映画祭での最優秀監督賞・最優秀男優賞をはじめ、多くの映画賞に輝いた犯罪映画。ベルリン国際映画祭・金熊賞受賞作品『別離』(11年)のペイマン・モアディ(同映画祭で男優賞を獲得)や、目下めきめきと頭角を現しつつあるナヴィッド・モハマドザデーらが出演、1989年生まれの俊英サイード・ルスタイ監督が、長編映画2作目とは思えぬほどの猛々しい演出力を見せている。
冒頭で映し出されるのは、銃を手にした警察官たちが、とある建物に手入れを仕掛けようとしている場面。刑事のひとりが視界の隅で動く不審な影に気付いた次の瞬間、男が建物の屋根から路上に飛び降りて逃走を開始する。カンカン照りの町なかを逃げる男と、追う刑事。ハリウッド映画的とも言っていいノッケの勢いに、『007 カジノ・ロワイヤル』(06年)でのパルクール・チェイスのような大立ち回りが始まるのかと思いきや、その幕切れはビックリするほど唐突で後味が悪い……黙々と埋め立て作業を続けるブルドーザーのエンジン音から生じた不穏なムードは、その後約2時間にわたって少しずつ形を変えながら、映画全体を支配し続ける。
映画に明確な善玉悪玉のゾーニングを求める向きにとっては、『ジャスト6.5』は非常に取っ付きにくく、居心地の悪さを抱かせる作品かもしれない。主要登場人物の大半が倫理のブラックorグレーゾーン(いいとこオフホワイト)に身を置き、各々の目的達成のために目をギラつかせているような御仁ばかり。無辜の民かと思われた連中までもが、裏では看過しがたい悪事の片棒を担いでいたりするので、観ていて結構ゲンナリする(同時に、そのような危険な橋を渡らなければ他者に搾取されかねないという社会構造の闇が透けて見えるため、遣る瀬無さも一入だ)。主人公のサマドとて例外ではなく、強引なオラオラ捜査とヤクザ以上にヤクザらしい恫喝尋問は、積極的に応援したくなるようなヒーロー像からは百万光年かけ離れたもの。「俺はワルだが、子どもを殺すなんてゲスい真似はしねぇ!」と涙ながらに訴える麻薬王ナセルのほうが、感情移入対象としてはナンボかマシかも……と思えてくる瞬間まである。それはまるで、絶頂期の深作欣二監督が怒涛の勢いで撮りまくっていた70年代東映実録映画のような感触。時代も地域も全く異なっているものの、菅原文太が全裸の川谷拓三をシバき倒した取調室のダーティな空気感が、ここにも確かに流れている。
捜査中の失態を同僚に(半ば強引に)肩代わりしてもらおうとした結果、ピンチに陥って怒り焦るサマドのドタバタや、視覚的インパクト一発満点の肥満体ネタ、喜怒哀楽全部乗せの悲しくもシュールな面会等、思わず引き攣った笑いがもれてしまうシーンもあるが、それらがノイズにならず、むしろ良い箸休めと感じられるほどに、本作の抱える闇は暗くて深い。麻薬中毒者たちの一斉検挙場面で映るスラム“土管”街のビジュアル、薄汚れた半裸の肉体が蠢く牢内の有様からも、「この世の地獄」感がひしひしと伝わってくる(“3密回避”が叫ばれる今となっては、この映画におけるブタ箱描写はちょっとしたホラーだろう)。ハイウェイで実際に渋滞を起こして撮影されたという壮観な空撮ショット、車の間を縫って逃げまどう人々は、ひと昔前の群衆シミュレーション・ツールで生成されたと思しき禍々しい動きをしている。麻薬によって人格や生気を失い、いつしか無個性なCGモブ同然の存在となってしまった人々。そしてその数は、今も確実に増え続けている……薬物汚染問題の根深さを象徴しているかのような、不気味な光景だ。
【映画『ジャスト6.5 闘いの証』は1月16日(土)より、
新宿K’s cinema他にて全国順次ロードショー(同時公開作品:『ウォーデン 消えた死刑囚』)】
※新型コロナウイルス(COVID-19)感染症流行の影響により、公開日・上映スケジュールが変更となる場合がございます。上映の詳細につきましては、各劇場のホームページ等にてご確認ください。