2019年
監督:マイケル・ドハティ
出演:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、サリー・ホーキンス、チャン・ツィイー、渡辺謙
公式サイト:https://godzilla-movie.jp/
公式Twitter:https://mobile.twitter.com/godzillamoviejp/
進撃の千両役者
【千両役者(せんりょうやくしゃ)】
●一年に千両もの給金をとる役者の意。
●格式の高い俳優。技芸の優れた俳優。転じて、文句なくすぐれた人。(「広辞苑」より)
よもや給金で動いてくれる御仁では無かろうし、格式や技芸なんて概念も持ち合わせてはいないだろうが、「文句なくすぐれた」という点においては、ゴジラこそモンスター界の千両役者と呼ぶに相応しい。1954年、水爆実験の影響で悠久の眠りから目覚めたこの巨大生物は、以降60年以上にわたり「怪獣王」の称号を保持し続けてきた。その絶大な人気は日本の中だけにとどまらず、いつしか世界各国に飛び火。お粗末な海外再編集版の公開や、巨大イグアナへのメタモルフォーゼといった珍事を挟みつつ、2014年、ついにハリウッド製超大作『GODZILLA ゴジラ』が誕生、メガヒットを記録した。あれから5年、怒れる千両役者再度の登板となる本作は、米国のレジェンダリー・ピクチャーズと日本の東宝株式会社との提携企画である「モンスターバース・プロジェクト」の第3弾。近い将来、髑髏島のヌシ=キングコングとの頂上決戦が予定されているゴジラだが、今回モンスターバースに参戦する怪獣たちも、実績・知名度共にワールドクラスの猛者揃い。まさにファン垂涎、夢のオールスター競演作だ。
2014年の1作目公開時にも散々言われていたことではあるが、モンスターバース版ゴジラは「人間サイドの描き方が弱い」という非常に大きな難点を抱えている。家庭内不和や組織内の派閥抗争など、いわゆる「人間ドラマ」の培地となりそうな要素をあれこれ工夫して物語に入れてみても、怪獣王ゴジラの前では全てが矮小化されてしまい、大した効果を生まないことが多い(そもそもこの弱点はハリウッド版ゴジラに限ったことではなく、過去の純日本製ゴジラシリーズ、延いては怪獣映画全般に当てはまる)。庵野秀明が総監督を務め、批評・興行面共に大成功を収めた『シン・ゴジラ』(16年)では、政府機関が一丸となって大規模災害に立ち向かう模様を凄まじい量の台詞・テロップ処理や緻密なミリタリー描写で映し出し、唯一無二の異様なドラマ性を獲得していたが、そうそう何度も使い回せる手法ではあるまいし、2億ドル近いバジェットを投じたブロックバスター映画でコレを真似るのはリスクが大きすぎる。「今回の目玉はド派手な怪獣プロレスだ。人物造形も成る丈シンプルにしろ!」……そんな意見が重役会議の席上で出たかどうかは知らないが、本作の登場人物たちは揃いも揃って存在感が軽く、不可解な思考回路の持ち主で、感情移入が困難なキャラクターばかり。「描き方が弱い」なんて生易しいものではなく、端的に言えば「雑」だ。他の作品で確かな演技力を発揮していたはずのキャストたちが、ここでは役柄に真実味を付与することができず、著しく精彩を欠いている。特にヴェラ・ファーミガ扮するエマ・ラッセル博士の人格迷子ぶりは酷いもので、文明社会の存亡を左右するような超重大決心から極めてパーソナルな理由(と、切腹モノの計算違い発覚)でコロッと転向するくだりなど、「お前、何様だよ」と呆れてしまうほど。いくら「人類の叡智だけではどうにもならなくなった世界」を舞台にしているとはいえ、ここまでエモーションそっちのけでフラストレーションばかりが溜まっていく人間パートというのは、さすがにちょっとどうなのよ、と思ってしまう。
そんなホモ・サピエンスどもの不甲斐無さを補って余りあるのが、現代に蘇った太古の怪獣=タイタンたちの豪快な暴れっぷりだ(前作で巨大怪獣の存在が世界中の知るところとなっているため、今回は怪獣登場までの焦らしも比較的淡泊)。鼓翼の風圧で街をブッ潰し、戦闘機をロール飛行で次々と叩き落としていくラドン、『ゴジラVSモスラ』(92年)のバトラのようなツリ目と優雅な飛行スタイルのギャップがセクシーなモスラ、CG化で首と表情の可動域が広がり、胴体部分もシャープになった“モンスター・ゼロ”ことキングギドラ、そして伊福部昭の超有名かつ勇壮なテーマ曲と共に登場するゴジラ……と、「コレが観たかったんだろ?」的な映像が惜しげもなく、次から次へと披露される。ここでも、シーンによっては音楽と効果音のバランスがイマイチだったり、ギドラの持つ特性(気象操作能力)のせいで肝心の怪獣バトルが少々見にくい、などといった問題が無くはないのだが、画面が暗すぎて状況把握に難儀した『GODZILLA ゴジラ』クライマックスの対ムートー戦と比べれば格段の進歩。ゴジラの放射熱線とギドラの引力光線、2大怪獣究極の飛び道具対決を再び見ることができただけでも、入場料の元が取れるというものだ。
「守護神にも破壊神にもなり得る存在」としながらも、主要登場人物絶体絶命の危機を都合よく救ってくれるあたり、やはり『キング・オブ・モンスターズ』のゴジラはヒーロー的な色合いが強い。広島・長崎への原爆投下から9年後、ビキニ環礁における核実験と第五福竜丸被曝の衝撃に揺れる日本で産声をあげた怪獣王ゴジラ。その出自にこそ価値を認める人々からすれば、人的被害を最小限に抑えながら他の怪獣と派手な戦いを繰り広げるモンスターバース版ゴジラは空虚で、滑稽な存在にすら感じられるのかもしれない。しかし裏を返せば、怪獣王のプロレスを無邪気に楽しんでいられる世の中というものは、(裏で恐るべき事態が人知れず進行している可能性はあるにしても)実に平和で贅沢な時間である。1954年版『ゴジラ』で、死を覚悟した母親(おそらくは戦争未亡人)が幼子を抱きしめながら呟く台詞「もうすぐお父ちゃんのところへ行けるのよ」……この場面を強烈な実感と共に鑑賞した当時の観客を、筆者は羨ましいとは思えない。いつか、ゴジラが万人にとって絶対的恐怖の対象でしかない時代が到来したなら……そこはもう、呑気に映画を観てなどいられない終末世界となっているはずだから。