アニメ

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』レビュー!

2019年
監督:片渕須直
声:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、花澤香菜
公式サイト:https://ikutsumono-katasumini.jp/

照り煌めく無数の欠片から再構築された、理想的ロングバージョン

昨年末に日本歴代興行収入1位を達成、今なお全国の映画館で驚異的な集客力を見せつけている『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』(20年)。TVアニメからの続きモノ、しかも流血描写だってバンバン出てくるタイプの作品が、此度のコロナ禍においてこれほどのメガヒットをキープし続けているという事実には、ただただ瞠目するばかりである。もともとの原作コミック人気に続々と発売されるコラボ商品、ついには“キメハラ”(「『鬼滅の刃』ハラスメント」の略称)などという造語まで飛び出し、もはや煮立って生じた熱気の一部が狂気へと転じかけている感さえあるが、今から遡ること数年、『鬼滅』とは比較にならないほどの小規模マーケット作品として封切られながら、評判に後押しされて劇場数を増やし続け、最終的に興行収入27億円超えを記録したスリーパーヒット作があった。

こうの史代の原作漫画をもとに、クラウドファンディングによって集められた資金でパイロットフィルムを制作、『マイマイ新子と千年の魔法』(09年)の片渕須直監督が微に入り細にわたる時代考証を重ねて完成させたその小さな巨人『この世界の片隅に』(16年)は、公開されるや観客からの絶大な支持を得て上映規模がジワジワ拡大。日本におけるロングラン上映の新記録まで樹立し、国内のみならず国外の映画祭でも数多くの賞に輝いた。筆者のような庸人ならば、ここまでの成果だけでも「まこと見事な大勝利!」と満足してしまうところであるが、プロデューサーから予算と尺の大幅カットを求められ、せっかく用意した絵コンテのいくつかを抽斗に仕舞い直さざるを得なかった片渕監督にしてみれば、オミットされた箇所への心残りは少なからずあったに違いない。そして『この世界の片隅に』が当初の目標興収額をクリアした結果、片渕監督が構想していた長尺版の具現化プロジェクトが正式に始動。シーン丸ごとの追加から細部の微妙な修正に至るまで、単純な手直しというよりもむしろ完全新作の創造に近い労力をかけて生み出された『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(以下、『さらにいくつもの』)は、ディテールが増強されただけでなく、作品全体のフォルムも2016年版とはだいぶ異なっている。

ディレクターズ・カット、ファイナル・カット、完全版、エクステンデッド版……初公開時に何らかの理由で引っ込めたバージョンを、のちに改めてリリースする映像作家は数多い(DVDの登場でバージョン選択が容易になってからは、こういった動きは以前にも増して活発になってきた)。しかし、それら全てが好評をもって迎えられるとは限らず、「資料的価値を除けば全くの蛇足」、あるいは「オリジナル版の美点までも遡って損ないかねない負の産物」と見なされることもザラだ。特に、初公開版が既に傑作としての地位を確立していた場合、再編集版の発表は取り返しのつかない大火事を引き起こす危険がある。自分の愛する作品に余計なものを足された(または大事なものを削られた)と感じたファンは気分を害し、アンチはここぞとばかりに作り手の愚を嘲り笑う。ようやく火炎がおさまったとき、焦土で聞こえてくるのは「だから止しときゃよかったのに……」というヤレヤレ声の残響ばかりだ。

では、『さらにいくつもの』はどうか?約250カットの新規映像を追加、上映時間が40分ほど長くなったことで、オリジナル版が持つ「カウントダウンサスペンスにも似たスピード感」はいささか弱まっている。主要登場人物たちの人間模様がより一層細やかに描写された結果、以前は否応なしに「このお話の主人公」として際立っていたヒロイン・すずの輪郭線も、本作では若干柔らかめだ。長尺作品が敬遠され、キャラクターに強烈な個性を求められがちな昨今、もしもこのロングバージョンが先に世に出ていたとしたら、公開時にあれほど大きな反響を呼んだかは正直疑問である。「出来は保証する!とにかく観てみてくれ!!」……そんな悲痛な叫び声を残して興行失敗の泥沼に沈んでいった映画など、過去にいくらでもあるのだから。どこまでいっても後付け意見にしかならないが、創作意欲全開モードの片渕監督に尺の短縮を要請した真木太郎プロデューサーの判断は、(少なくとも商業的には)決して的外れなものではなかったように思う。

しかし、初公開から『さらにいくつもの』発表までの3年間に、この物語を取り巻く状況にも変化があった。批評・興行共に大成功をおさめたオリジナル版は、もう「誰に観てもらえるかも知れぬ無名の小品」ではない。そして映画に好感を抱いた人々、とりわけ、毎回同じ展開、同じ結末が待っていると知りながら足繁く劇場に通ったリピーターの中では、「もっとこの世界に浸っていたい」、「この登場人物たちともう少し一緒にいたい」という想いが大きく膨れ上がっていたのではなかろうか。そういう観客にとって、『さらにいくつもの』は上映時間の長さなど何のその、積年の飢えを満たしてくれる極上の“おかわり”に他ならない。戦時下の市井の暮らし、そこに点在する小さな幸せの欠片は前にも増して照り煌めき、追加エピソードによってキャラクターの人間くささ・艶めかしさが強調され、これまではただそこに置かれたのち破壊されるだけだった小道具にまで、確固としたドラマが添え加えられている。もちろん、今となっては他のキャスティングなど想像もつかないほどのハマリ役、すず=のんの好演も健在だ。「2016年版のテーマは、時代の代表者としてのすずさんに出会うこと。2019年版では、あくまで一人の人間としてのすずさんを描いた」……片渕監督が語っている通り、フォーカスポイントを巧妙に変えてきた『さらにいくつもの』は、オリジナル版を尊重しつつファンのニーズにも誠実に応えてみせた、理想的なロングバージョンといえよう。

2019年、『さらにいくつもの』が公開される少し前から、世界中に拡散し始めた黒い影。そして明くる2020年は、この世に生きる多くの人々にとって試練の日々となった。ついこないだまでの常識が非常識とされ、当たり前にやっていたことができなくなり、「新たな生活様式」なる行動指針に戸惑いを覚え、意見の対立が激化……全てが昨年のうちにキリ良く収束、なんて都合のいい奇跡はついに起こらず、この先も暫くは沈滞ムードが続きそうだ。だが、辛いこと尽くめの中にもささやかな幸福を見出し、時には「しみじみニヤニヤ」しながら、日々の暮らしを紡いでいくのが人間の強靭さ・素晴らしさであり、それはなにも「突出した才能を持つ個人」でなくとも実行できることである。オリジナル版公開時のキャッチコピーにあった「わたしは ここで 生きている」という文言。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、「ただ普通に生きていく」ということが、其の実ものすごく奇跡的でかけがえのない事象なのだと、我々に訴えかけているようでもある。


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