スイス発の異色サスペンス映画『まともな男』をちょっとだけ先行レビュー!
凡夫、白銀の地獄巡り
しがない中年会社員のトーマスは、妻と子ども、上司の娘ザラを連れてスキー旅行にやってきた。だが、地元の青年セヴェリンに誘われてパーティーに出かけた娘たちを迎えに行ったトーマスは、街角で啜り泣くザラから「セヴェリンにレイプされた」と打ち明けられ、激しく動揺する。「家庭にも仕事にも波風を立てたくない」……そんな心の弱さから、事を穏便に済ませるための小さなウソを重ねていくトーマス。しかし悪循環の果てに生み出された状況は、平凡極まりない中年男をどん詰まりの窮地へと追い込んでいく……。
[2015年 監:ミヒャ・レビンスキー 出:デーヴィト・シュトリーゾフ]
苦し紛れについたウソ、その場しのぎの言い訳が、後々になって自分の首を絞める結果へと繋がる……ダメージの大きさに差はあれども、誰の身にも覚えがある普遍的な失敗ではないだろうか。その根っこに悪意が潜んでいるとは限らず、厄介な物事を丸く収めようという「善意」が苗床になってしまう場合も多い。我が身に引き比べられるありふれたチョンボであるだけに、「どうせ映画の中の出来事よ」と突き放すのは困難だ。映画『まともな男』は、負のスパイラルにハマってしまった悲しくなるほど凡庸な男・トーマスを仄かな加齢臭が嗅げるほどの距離で観察させ、きまり悪くモヤッとした共感を呼び起こす、奇っ怪な人間ドラマである。
妻との関係はとうに冷め、反抗期の娘からはほとんど相手にされず、意に染まない仕事にも心底ウンザリしていたトーマス。おまけにアルコールが入ると突飛な行動に出てしまう癖もあるらしく、飲酒絡みのトラブルがもとで今はセラピストのお世話になっている(家族には内緒)。自分でも「どげんかせんといかん……」と思っていたところ、ダメ押しのように伸し掛かってきたザラの告白。このままでは家族関係の修復はおろか、上司からの信頼も失って全てがオジャンだ。追いつめられた凡夫は保身のために一時を糊塗するのだが、これが決定的なボタンの掛け違いとなり、事態はどんどん悪い方へと転がっていく。根っからのワルにとっては朝飯前なウソの上塗りも、もともと小心でデリケートなトーマスには荷が重すぎた。罪悪感に苛まれ、我慢していた酒に手を伸ばしてしまう場面など、デーヴィト・シュトリーゾフの見事な挙動不審演技も手伝って心が痛くなってくる。
この脚本の巧みなところは、誤ったチョイスを繰り返すトーマスに納得度の高い動機を用意している点だ。後の展開を知っていれば「よしときゃいいのに……」と思ってしまう数々の選択だが、「では、あの時あの場所でどうすればよかったのか?別の打開策に気付いたとして、そっちを取る勇気があったか?」と心に問うてみると、どうにも自信が揺らいでくる(このあたりの感覚、身の危険を感じて咄嗟に起こした行動が家庭崩壊の危機を招く『フレンチアルプスで起きたこと』(14年)を観た時のそれに通じるものがある)。たとえ時間を巻き戻せたとしても、やっぱり同じ轍を踏むのではないか……そんな不安にとらわれてしまった観客は、寒々しい景色の中を縮こまって歩くトーマスに感情移入せずにはいられないはずだ。
ウソがウソを呼び、感情的な行き違いがもはや退っ引きならぬところまでエスカレートしてしまった物語は、よくある因果応報の訓話とは異質の地点へと帰結する。トーマスの悪夢はこれで終わったのだろうか?答えは間違いなくNOである。負の連鎖は形を変え、人目に付きにくい姿となって藪の中に引っ込んだだけ……「まとも」を自称していた男の生き地獄は、今まさに始まったばかりなのだ。