映画『タリーと私の秘密の時間』本予告 8月17日(金)公開
出産は戦いの始まり
3人目の子どもの出産を前に、マーロは目が回るような日々を送っていた。情緒不安定な長男ジョナは小学校で問題児扱いされ、夫のドリューは家事も育児も妻に任せっぱなし。自分の「仕事」を何とかこなしていたマーロだったが、無事に女の子を出産してからは授乳やオムツ替えで眠れない毎日が続き、心身共に疲れ切った彼女は夜だけのベビーシッターを雇うことにする。夜中、玄関のドアをノックして現れたのは、タリーと名乗る若い女性。ファッションもメイクもイマドキ女子なタリーだが、仕事ぶりは完璧で、マーロが一人で抱え続けていた悩みの相談にものってくれる「救い主」だった。しかしその救い主は、毎日夜明け前に姿を消し、自分の身の上は何も語ろうとしない。彼女は一体何者なのか?マーロの前に現れた本当の目的とは……?
多くの映画でハッピーエンドの記号として扱われる「出産」。ギクシャクしていた家族が、分娩室から聞こえてきたオギャーのひと声で再び結束、新生児室の窓から赤ちゃんの寝顔を覗き込む集合ショットで大団円……なんて光景を、誰しもどこかで目にしたことがあるのではないだろうか。しかし本作の物語が本格的に動き出すのは、分娩後に始まる「待ったなしの育児戦争」にヒロインが疲弊し、思わず白旗を掲げかけたその瞬間からだ。『JUNO/ジュノ』(07年)でアカデミー脚本賞を受賞したディアブロ・コディは、自身が3人目の子どもを出産した際の体験からこの物語を着想したそうだが、なるほど納得。「お乳→オムツ交換→お乳→オムツ交換」の目まぐるしさや、ベビーモニターから聞こえる音に微睡を阻まれ続けて育児ノイローゼに陥っていく描写など、猛スピードで通過していく一瞬のカット&シーンにも実体験ならではの重みがある。
主人公マーロを演じるのは、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年)や『アトミック・ブロンド』(17年)で屈強な野郎どもをこれでもかとシバキ倒していた女傑、シャーリーズ・セロン。出産直後の母親を演じるため、体重を十数キロ増量させて作り上げたという外見は相当なヴィジュアル・ショックをもたらすが、なりきり演技はガワのみに非ず。キャパ超えからくる虚脱状態や、行く手に待ち構える試練への不安感を、微妙な表情変化と眼力で見事に表現してみせる。実在の連続殺人犯に扮してオスカーを獲得した『モンスター』(03年)では、肉体改造の他に特殊メイクの力も借りて大化けしていたセロンだが、『ヤング≒アダルト』(11年)のヌーブラと鉄壁のお化粧で武装したド痛い毒舌ネェさん役を経て、今回はアプライエンスの援護なしでの真っ向勝負。もはや、「モデルあがり」「セクシー要員」なんて揶揄されていた頃が懐かしく感じられるほどの、堂々たる演技派女優ぶりだ。 超有能ベビーシッター、タリーの正体に関しては、勘のイイ人ならば結構早い段階で察しがついてしまうかもしれないが、そもそもネタバレで魅力が損なわれるタイプの映画ではない。むしろ2度目以降の鑑賞でこそ(あるいは観終わってから内容を反芻する過程で)、観客はマーロとタリーの姿を通して実人生における数々の選択にしみじみと思いを馳せ、より深く2人に感情移入することができるはずだ。決して軽くはなく、それでいて堅苦しい説教臭さも感じさせない95分……長編デビュー作『サンキュー・スモーキング』(05年)で見せたフレッシュな感性はそのままに、演出家としての引き出しの数を着実に増やし続けてきたジェイソン・ライトマン監督は、ここでまた一つ、立派な成果をあげたようである。
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:シャーリーズ・セロン、マッケンジー・デイヴィス
配給:キノフィルムズ
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