1994年
監督:アレックス・プロヤス
出演:ブランドン・リー、アーニー・ハドソン、マイケル・ウィンコット、ロシェル・デイヴィス、バイ・リン、トニー・トッド、デヴィッド・パトリック・ケリー
遅すぎた「映画の神様」の降臨
シナリオ構想中に素晴らしいヒラメキを得たり、本番撮影で奇跡的なショットを収録できた際、「映画の神が降りてきた」なんて表現を用いることがある。連日の作業で疲弊し、ロケ地でヘマをやらかしてガックリきている時でも、こういう瞬間に出くわすと思わぬプレゼントを貰ったようで気分が高揚し、チーム全体の士気もグッと上がるものだ。ところが、映画の神様がごくたまにしか姿を現さないのと対照的に、映画の“魔”というやつは頼みもしないのに撮影現場に常駐、隙あらば乱入してやろうと手ぐすね引いてスタンバっている。ひとたびコイツが暴れ始めれば現場は混沌の坩堝と化し、ひどい場合にはクルーやその家族の人生を破滅へと導きかねない。
1994年公開のゴシックホラー・アクション映画『クロウ/飛翔伝説』の制作現場で発生した事故は、些細なミスや職務怠慢の累積が映画の魔に力を与え、暴走を許してしまった最悪のケースだろう。発砲シーンの撮影中、人知れずバレル内に残留していた弾頭が誤って発射され、主演俳優ブランドン・リーを死に至らしめるという惨事を招いたのだから。それにしても、経験豊富なスタッフが多数参加し、事故の防止に神経を尖らせているはずの現場で、何故このような悲劇が起こってしまうのか。短絡的なタブロイド思考で原因を突き止めようとするのは危険だが、それでも看過できないリスクファクターのひとつとして、「作品規模に見合わない脆弱な制作基盤」というものが確実にあると感じる。
ジェームズ・オバーのカルトコミック『ザ・クロウ』を映像化するにあたり、当初組まれた予算はおよそ1500万ドル。もとが独立系出版社から刊行された小品であり、現在ほどコミック実写化の熱気が高くなかったことを勘定に入れても、ちょっとキビシい見積もりだ。バジェットが小さければ撮影期間は短縮され、その日その日に撮りきらなければならないシーンの数が自ずと増えてくる。数十人のスタッフ・キャストから成る撮影隊の場合、セッティングや撤収作業とて容易いものではなく、キャメラを回せる時間は思いのほか少ない。スケジュールの遅れはスタジオを苛立たせ、長時間労働からくる疲れとプレッシャーが現場の雰囲気を徐々に険悪なものへと変えていく。『クロウ』ではコストを抑えるため、映画産業が盛んで人件費も比較的安かったノースカロライナ州ウィルミントンが主要ロケ地に選ばれたが、そもそも節約手腕に頼りきりの低予算。浮いたお金を労働環境の改善に充てる余裕など、ハナから無いも同然だった。
クルーのスタミナは、撮影時期や時間帯によっても大きく左右される。本作は物語の性質上、雨天のナイトシーンが非常に多い。降雨装置を使った夜間ロケ、しかも時期は冬だ。こんな撮影が幾日も続けば、よほどの鉄人でもないかぎり体力が削られ、神経もささくれ立ってくるだろう。勿論、夜間撮影や雨降らしは極々ありふれたシューティング・フォームであり、それ自体が禁忌というわけではない。しかし、苦労を要する作業に相応のケアが伴わなければ、それはもう戦術などとは呼べぬ無謀なゴリ押しである。爆破や格闘、カーチェイスに銃撃戦と、入念な準備が不可欠であることはシナリオ段階でも予想できたはずなのだが、どうも本作の場合はその辺の警戒心が最初から薄い……というか、別のことに気をとられて対策がお留守になっていたとしか思えない。
クランクイン当日、高所作業中のスタッフが高圧線に触れて大火傷を負ったのを皮切りに、『クロウ』撮影現場ではアクシデントが頻発。ハリケーンにセットを破壊されるという不可避的な災難があった一方、スタントマンや大道具係のケガ、小道具保管車両からの原因不明の出火など、根っこに“人災”の二文字が見え隠れする事故も多い。疲労が蓄積すれば注意力も判断力も低下し、普段なら当たり前のようにできていることでさえ、満足にこなせなくなってしまう。そんな状況にあっても、スケジュールの呪縛力というものは絶大であり、ひとたび始まった撮影に一時停止の号令がかかることはほとんど無い。疲労の極致に達したスタッフの中には、ドラッグをキメつつ寝ずのハードワークを続行する者までいたらしいが、刹那の覚醒作用の先にはケアレスミスの大地雷原があるだけだ。疲れが心のゆとりを磨滅させ、やがてはちょっと時間を割けば済むはずの事前チェック作業まで疎かになる。「今までだって修羅場は踏んできた。今回も最後にはきっと上手くいく」……豊富な経験に裏打ちされた自信が、かえって悪い作用をもたらしていたのかもしれない。そして撮了まで数日を残すだけとなった1993年3月30日、さして難しくもないシーンの撮影において、“空砲”がリーの腹部に命中。翌日、彼は搬送先の病院で息を引き取った。
主演俳優の突然の死によって、横車を押すように続いてきた撮影もようやくストップ。一時は作品のお蔵入りまで検討されたが、リーの遺族や婚約者からの要望を受けて、企画は息を吹き返す。台本が書き直され、完成のために800万ドルの予算増額が決定。未撮影パートは代役による追撮と、リーの顔を別人の体に合成するCG技術で補われた(この時、リーのスタントダブルを務めたのが、のちに監督として『ジョン・ウィック』シリーズを手掛けるチャド・スタエルスキ)。
紆余曲折を経て出来上がった『クロウ/飛翔伝説』は、凡百のアクション映画とは一線を画する魂のこもったフィルムである。昨今の、3Dプリンターから成形されたような精緻なアメコミ原作映画とは趣を異にする、ダークでザラついた手触り。アレックス・プロヤス監督のヴィジュアリストとしての腕前は疑いようがなく、ダリウス・ウォルスキーによる撮影は闇夜の美しさを見事に捉えてみせた。全編にわたって鏤められた多種多様なロックナンバーと、グレーム・レヴェルの劇伴が果たしている役割も大きい。そして何よりも圧倒的なのが、哀しき復讐鬼エリック・ドレイヴンに扮したブランドン・リーの存在感だ。彼の強烈なカリスマ性は死後に撮られた場面にまで波及し、ひと目で代役と判るバックショットや表情不明瞭なカットにおいても、観る者の心をしかと掴んで離さない。魔に蹂躙された制作現場に、とうとう映画の神様が舞い降りたのだ。しかし、その降臨はあまりに遅く、代償はあまりにも大きすぎた……。
残念なことに、雀の涙ほどの予算と無茶なスケジュールでもって撮影に臨む組というのは、今も相当数存在する。お金や時間をかけるばかりが能ではないし、足りない部分を知恵と工夫で埋め合わせ、傑作をモノにした例だってゴマンとある。ただ、日々の足代や弁当代にも事欠くような実状から目を背けたまま、クルーのガッツだけを燃料に突き進む外道列車の如き現場に出くわすと、いつか取り返しのつかない事故が起こるのではないかと不安ばかりが膨らんでしまう。台本に書かれた内容が映像へと生まれ変わっていくのを見るのは確かに心躍る体験だが、まずは気持ちを落ち着けて、物事に取り組むための準備がちゃんと整っているか、冷静に見極めることが肝要である。「死ぬ気で頑張る」みたいな言い回しは、当然ながら言葉の綾に過ぎない。健康や人命を犠牲にしてまで撮らなければいけない映画など、この世のどこにも存在しないのだ。