2019年(オリジナル版公開:1979年)
監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、フレデリック・フォレスト、ローレンス・フィッシュバーン、ハリソン・フォード、デニス・ホッパー
公式サイト:http://cinemakadokawa.jp/anfc/
いま再びこだまする“生きもの”の咆哮
「これはコッポラが産んだ生きものだ」……2002年、『地獄の黙示録 特別完全版』が日本で公開された際、予告編やチラシに付けられていたキャッチコピーであるが、まこと言い得て妙。未完成のまま出品された1979年のカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞して以来、その形を変化させながら“唯一無二”の存在であり続けたこの作品には、凡百の映画とは異質の、なにやら有機体めいたイメージが付随している。そんな“生きもの”の生誕40周年を記念して、フランシス・フォード・コッポラ監督自ら再編集とデジタルリマスターを監修し、昨年8月に全米公開されたのが今回のファイナル・カット版。日本でも全国IMAX®にて期間限定で上映されることが決定、圧倒的な映像と迫力のサウンドが、いま再び劇場に蘇る。
この映画の製作がどれほど苦難に満ちたものであったかは、すでに数多くの書籍やドキュメンタリー映画で示されている通りだ。ロケ地フィリピンの政情不安、主演俳優の交代、台風による巨大セット喪失、役者の急病、苛烈な暑気と湿気、そして劇中設定にそぐわない肥満体で平然とアドリブ&カンペ読みを突き通した“最大の魔物”マーロン・ブランド。度重なるトラブルにより、バジェットも日程も当初の予定を大幅に超過、『ゴッドファーザー』(72年)とその続編(74年)の大成功で時代の寵児となっていたコッポラ監督が、再起不能ギリギリの状態まで追い詰められるという地獄の撮影現場だった。もはや台本も頼りにできない状況下で即興芝居を延々と撮り続けた結果、編集室に届いたのは「とびきり美しく、てんでバラバラな」映像素材の山。コッポラと編集チームはどうにかこうにかシーン前後の脈絡をつけ、エンディングの改変も含めてストーリーを纏め直す作業に2年ちかい歳月を費やした……まったく、こうやってザックリ書いただけでも、よくぞ完成に漕ぎ着けたものだと思わざるを得ない。
斯様な混沌たる環境で作られた『地獄の黙示録』は、まるでキマイラか鵺(ぬえ)のように、戦争映画ファン感涙モノのスペクタキュラーな戦闘シーンと露骨な衒学趣味が同居する歪なメガ盛り超大作となった。主人公たちを乗せた哨戒艇が川を遡行するにつれ、風景やお話はどんどん超現実的な色合いを強めていく。やがて観客も霧中をさ迷うが如き不安感を覚えはじめ、ようやく船が目的地=M・ブランド扮するカーツ大佐の牙城に辿り着いた頃には、これがベトナム戦争後期のインドシナ半島を舞台にした物語であることすら記憶からスッ飛びかけている。当初の予算(1200万~1600万ドル)から膨れに膨れた総製作費、およそ3150万ドル(そのうちの半分はコッポラの身銭で補填された)。しかもその内容は、大衆ウケするブロックバスター映画とはまるで異質の奇っ怪なもの……幾多のハプニングと拠無い事情の累積が、若きオスカー受賞監督の予想をも遥かに超えるほどの“化け物”となって世に生まれ出たわけである。お披露目前から「世紀の大失敗作になる」と囁かれていた映画はしかし、各賞レースでの好結果や強気の宣伝が功を奏して大ヒットを記録。プレッシャーで萎びかけていたコッポラの天狗鼻も、これですっかり元通りと相成った(そして次作『ワン・フロム・ザ・ハート』(82年)の興行的失敗により、鼻はものの見事に折れた)。
2時間半のオリジナル版、3時間20分の特別完全版、そして3時間のファイナル・カット版。どのバージョンも気楽にサックリと鑑賞するにはスローテンポで長く、特にフランス植民農園の場面やカーツ大佐のブツブツ語りは、TVモニターで観た場合、よほど気を張っていてもおネムになってくる(今回、いくら何でも冗漫過ぎた特別完全版から、哨戒艇チームと遭難プレイメイトたちの“物々交換”パートを丸ごと削除したのは賢明な判断だったと思う)。ところが、これが高性能プロジェクターと最先端のサウンドシステムを有するIMAX®シアターならばどうだろう。みんな大好きビル・キルゴア中佐率いるヘリコプター部隊の急襲シーンは当然ながら迫力倍増、慰問ライブの猥雑な雰囲気やド・ラン橋攻防戦のドラッギー極まりないムードが更に強化されるのと同時に、ソフト版鑑賞時には「かったるい」と感じたシーンまでもが独特の艶めかしさと存在感を放つ。正確に言えば、筆者が試写で観た『ファイナル・カット』は4K DCP版、それも試写室の小さなスクリーンでの上映であり、IMAX®フォーマットの最適環境上映版からすればお話にならないほどスケールダウンしていたに違いないのだが、それでも今までの『黙示録』体験とはダンチ(死語)の没入感を伴うものだった。獰猛なトラの激しさだけでなく、カミソリの刃の上を這うカタツムリのように微細な情趣をも際立たせた最終決定版。内容の好き嫌いは分かれようとも、「なんかドエラいものを観た」という感覚は確実に残るはずである。
今や、新作映画がいきなりストリーミング配信されることも珍しくない時代。「劇場で観るのがホンモノの映画だ」という考え方は、時勢に逆行する偏狭な思い込みなのかもしれない。だが、あまりに重く巨大に育ち過ぎたがために、ひと抱えサイズのモニターでは真価を発揮できなくなってしまった作品というのも実在する。少なくとも、コッポラが産んだこの“生きもの”にとっては、薄暗くて広々とした映画館こそが最も安心できる棲みかのようだ。
【『地獄の黙示録 ファイナル・カット』は2月28日(金)より、全国IMAX®にて期間限定上映】