韓国で大ヒットを記録した話題作『タクシー運転手 約束は海を越えて』を先行レビュー!
[2017年 監:チャン・フン 出:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン]
1980年5月、ソウル。
男手ひとつで幼い娘を育てるタクシー運転手のマンソプは、家賃の支払いも儘ならない貧乏生活を送っていた。ある日「戒厳令下の光州に行きたがっている外国人がいる」という話を聞きつけたマンソプは、高額の報酬につられ、その外国人=ドイツ人記者ピーターをタクシーに乗せて光州を目指す。どうにか検問を潜り抜け、光州へと辿り着いた2人だったが、民衆と戒厳軍の睨み合いは遂に武力衝突へと発展。最前線で命がけの取材を続けるピーターと同伴者マンソプの周囲でも、情報の漏洩を阻止せんとする「権力」の影がチラつき始め……。
守りたい、この笑顔
韓国の映画やドラマの題材として、これまでにも幾度となく取りあげられてきた「5.18光州事件」。本作は事件発生時に現地取材を敢行し、その実情を世界に伝えたドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターと、彼に同行した韓国人タクシー運転手キム・サボクの実話をモデルにしたヒューマン・ドラマである。
主人公マンソプを演じるのは、ド田舎の熱血刑事から大統領の理髪師、はては雪国特急列車のエンジニア役まで何でもござれな名優ソン・ガンホ。英語圏アクターだらけのSF映画『スノーピアサー』(13年)でも、翻訳機片手に韓国語で悪態を吐いていたブレないアニキが、今回は大金欲しさに超ブロークンな英語を操る剽軽者に扮している。冒頭、ご自慢のおんぼろタクシーを転がしながらポップスを歌うガンホに始まり、汁物の具をコントよろしく吐き出すガンホ、思いがけない儲け話を耳にして軽やかにスキップするガンホ……と、アニキの魅力が景気よく炸裂。話の行間には少々身勝手でセコい挙動も点在するのだが、それら全てを引っ括めて愛すべき人間臭さに変換させてしまうのがガンホの凄いところだ。
物語後半、主人公たちを取り巻く状況は悪化の一途をたどり、マンソプの顔からも次第に表情が剥離していく。光州事件の政治的背景など知らない観客でも、ガンホの特大中華まんみたいな福々しい顔が曇っていくのを見るだけで、何かとんでもなく間違ったことが進行していると直感的に思うはずだ。「守りたい、この笑顔」という表現をインターネット上で時おり見かけるが、これこそまさに、マンソプや、光州で彼をサポートする「勇気ある市民たち」にピッタリのフレーズではないか。ポスターにある、タクシーの窓から身を乗り出したガンホのビッグ・スマイルは、余計な説明や理屈を必要としない極上の宝物である。
韓国役者陣の熱演を「動」とするならば、寡黙な記者ピーターに扮するドイツ人俳優トーマス・クレッチマンの佇まいは「静」だ。『戦場のピアニスト』(02年)や『ワルキューレ』(08年)など、軍服を着た役にやたらと縁のある人だが、カジュアルなシャツ姿も意外なほどサマになっている。眼前の光景に激しく動揺しつつ、不屈のジャーナリスト根性で懸命にフィルムカメラを構え続ける男の信念を、抑制の効いた演技で見事に体現。自身もかつて決死の覚悟で旧東ドイツからの亡命を果たした経験があるクレッチマン、デモに参加した光州の学生たちに、若き日の自分の姿を重ね合わせていたのかもしれない。
本作は基本的に被支配サイドの目線で描かれているため、戒厳軍や官憲は市民に躊躇いなく銃口を向ける「悪役」として扱われる。だが途中、いよいよ一巻の終わりかと思われた瞬間に、とある人物が予想外の行動を取る場面があるのだ。筆者はここで、デヴィッド・エアー監督の戦争映画『フューリー』(14年)のワンシーンを思い出した。権威者の非情な命令に唯々諾々と従ってしまう人がいる一方、極限状況下でふと頭を擡げる良心もまた、確かに存在する。所詮映画の中だけのキレイごと、と鼻で笑うのは容易いが、このささやかな描写が映画全体の印象に与える影響の、なんと大きいことか。まさに「焼け野原に咲く一輪の花」を見た思いである。