2021年
監督:平波亘
出演:田中俊介、山谷花純、片岡礼子、栁英里紗、川瀬陽太、川上なな実、田中泯(特別出演)、萩原聖人
公式サイト:https://gaki-movie.com/
曖昧さが不安を誘う、幽玄の地獄巡り
大貫大は、古びたアパートに住みながら路上で古物を売って暮らす、孤独な青年。ある日、看護師をしながら夜学に通う女性・佳奈と古書店で出会った大は、彼女との交流の中で人生に新たな意味を見出していくが、路上販売を取り締まる警察官とのいざこざで負傷し、それ以来、彼の中の“何か”が静かに狂いだす。先輩商人の国男に誘われて、山奥で開催される骨董の競り市場に参加した帰り道、この世の境目を抜けて黄泉の国へと迷い込んでしまった大。父親の亡霊、妖艶な如意輪、異形の餓鬼共……奇怪な存在とすれ違い、あの世とこの世を行き来しながら、大はやがて自身の人生を生き直し始める……。
今泉力哉や市井昌秀など、今をときめく映画監督たちの現場に参加し、自身も独立系作品を中心に監督として活動する平波亘が、古美術商である大江戸康の原案を得て撮りあげた面妖なる物語。『ミッドナイトスワン』(20年)の田中俊介、『天間荘の三姉妹』(22年)の山谷花純が主演を務め、片岡礼子、萩原聖人、田中泯などのベテラン勢が脇を固めている。
制約だらけの映画作りの工程において、脚本執筆は一番のびのびと想像力の翼を広げることができる作業である。何万の騎兵だろうが恐竜であろうが、紙の上に書きつけるぶんには思いのまま。コーヒーをガブ飲みしながら得心がいくまで推敲を重ね、ついに〈完〉の文字まで到達できた時には、気分はもうイッパシのシナリオライターだ(まぁ、大抵が夜更かしでハイになった挙げ句の錯覚にすぎないことは、実体験も含めて重々承知だが……)。ただ、これはあくまで「書くだけならば」の話。映画脚本は小説と違って撮影のための設計図であり、内容に見合ったお金や時間が確保できなければ、青図は所詮青図のままで終わる。現実と睨めっこしつつ、エキストラの数を減らし、ロケ地を削り……自由で楽しかったはずの執筆作業が、ここで一気に難行苦行へと早変わり。気付けば、あれほど壮大なスケールで展開していた一大叙事詩も、惨めったらしい空き地の口喧嘩レベルにスケールダウンしている、というわけである。撮影現場を知る人ほど、後々の苦労を気にかけるあまり、初稿から妙にチンマリしたものを拵えてしまうことも少なくない。
プレスシートによれば、平波監督が企画・原案の大江戸康氏から渡された初稿は、「予算のことなど全く考えていない、そのまま撮ったら何億かかるか分からない破天荒な代物だった」とのこと。しかしそこで居竦むどころか、荒ぶるホンの迫力にいたくエキサイトした平波監督、バジェットを意識しながらも原典の肝心な部分は損なわないよう、大江戸氏と二人三脚でシナリオを磨き込み、決定稿を仕上げたらしい。完成品から初稿の姿を想像するに、脚本を渡す相手次第では、言下に「無理!」の返答食らって企画がオシマイとなっていた可能性も大いにあるので、そもそもの巡り合せからして幸運だったというべきだろう。
幻想奇譚と言っても、凝った造形のクリーチャーであるとか、怪異の百鬼夜行といったアトラクション的要素は希薄だ。タイトルにある餓鬼共も、文字通りの存在は本編登場時間としては僅かなもので、それすら奇態な衣装を纏う役者さんに極々控え目なメーキャップを施した程度。超自然表現それ自体には、旧来の照明効果やカラーグレーディング、固定撮影した素材への合成などが使用され、特段目立つものでもない。一方、人間の奥底に巣食う「生き様としての餓鬼ぶり」は、種類や程度を変えながらほぼ全てのキャラクターによって表現される。怪しげな競りにワラワラと群がる骨董屋たち、死してなお物欲の奴隷であり続ける亡霊、肉欲剥き出しで主人公に迫る大家の妻、破壊衝動を夜毎のホームレス狩りで満たす不良グループ〈夜光虫〉……未だ自分が何者になりたいのか分からない、其の日暮らしの若者にとっては、こちらの“餓鬼共”のほうがよほど卑近で毒の強い脅威であろう。餓鬼に囲まれ、早くも骨董同様に退色の気配を示しつつある人生に、ふと差し込んだ一筋の光明。だがそれすらも、理解をこえた出来事に戸惑ううちに、逃げ水の如く消え失せてしまう。希望を抱いた直後に堕ちる、より濃くて深い絶望の淵。なるほど、地獄巡りとはよく言ったものだ。
監督曰く、鈴木清順の“浪漫三部作”プロデュースなどで知られる荒戸源次郎のマインドにも通ずるものがあったという当初のストーリー。それを映画化可能なレベルにまでシェイプアップしたとはいえ、実際に画として形になった本編もかなり攻めたつくりだ。欲望渦巻く骨董市場の生々しい描写と、普遍的な男女の恋愛模様、そしてシュールな幻想世界……部分的に、沈既済の古典『枕中記』や、エイドリアン・ライン監督作『ジェイコブス・ラダー』(90年)、塚本晋也の『双生児』(99年)などにも似たプロット・画作りが散見されるが、こちらは世界の境目がより曖昧で、そこがまた言い知れぬ不安を誘う。チャプターで区分けされた構成のおかげでエグ味と不条理さはだいぶ和らいでいるが、映画に理路整然とした話の筋道を求める人ほど、困惑の度合いは大きいかもしれない。脳をフル回転させてストーリーを追いかけるよりも、総身で物語を“浴びる”心持ちで鑑賞に臨むのが、一番良いのではないかと思う。
【映画『餓鬼が笑う』は12月24日(土)より、
新宿K’s cinemaほかにて全国順次公開】
※新型コロナウイルス(COVID-19)感染症流行の影響により、公開日・上映スケジュールが変更となる場合がございます。上映の詳細につきましては、各劇場のホームページ等にてご確認ください。