2021年
監督:リドリー・スコット
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライヴァー、ジャレッド・レト、ジェレミー・アイアンズ、サルマ・ハエック、アル・パチーノ
公式サイト:https://news-movie.jp/house-of-gucci/
巨星ふたりのコラボによる「べっぴん羅刹一代記」
父親が営む運送会社で働くパトリツィア・レッジャーニは、世界的ファッションブランド〈グッチ〉後継者候補のマウリツィオ・グッチと出会い、結婚。野心家の彼女は、グッチ一族内部にあった不和の種を巧みに利用し、経営参加に消極的だった夫マウリツィオさえも操りながら、“帝国”での影響力を高めていく。しかし、会社の業績悪化と一族間の対立が激化していく中で、夫婦仲も険悪なものに。自らの地位が脅かされていると感じたパトリツィアは、邪魔者に「制裁を加える」べく、破滅的な結果を招く危険な道を歩み始める……。
『ブレードランナー』(82年)、『グラディエーター』(00年)などで知られるリドリー・スコット監督が、有名ブランド〈グッチ〉組織内における権力争いと崩壊を描いたサスペンス・ドラマ。「希代の毒婦」パトリツィア・レッジャーニに扮するのは、『アリー/スター誕生』(18年)で女優としても大躍進を遂げた歌姫、レディー・ガガ。『最後の決闘裁判』(21年)のアダム・ドライヴァーをはじめ、アル・パチーノ、ジャレッド・レト、ジェレミー・アイアンズといった剛柔実力派キャストがアンサンブル演技を見せている。
ローマ帝政期の闘技場、エキゾチック過ぎる大阪、火星、その更に先にある危険な小惑星……好奇心を掻き立てるものがあれば、現在・過去・未来、世界のどこへでも飛んでいくジャンルホッパー、リドリー・スコット。80歳をとうに過ぎ、あと何年かで米寿に差し掛かる長老格だが、此度のコロナ禍でも創作意欲が衰える気配はなく、目下ナポレオン・ボナパルトを題材とした新作に取り組んでいる大忙しの人気監督である。近年はSF映画への情熱も再燃している様子で、そっちの畑での活躍も嬉しい限りなのだが、『アメリカン・ギャングスター』(07年)や『ゲティ家の身代金』(17年)といった所謂“近過去実話路線”でも確固とした存在感を示している。70~90年代の豪奢な社交界の輝きと、その深部に渦巻く黒い欲望・暴力、それらを強烈なコントラストでもってカンバスに描きつけてやろうという欲求が、何年か毎に巨匠を突き動かすらしい。
名門ロイヤル・カレッジ・オブ・アート出身で、プリプロダクション時に詳細な絵コンテ(通称“リドリーグラム”)を作成することで知られるスコット監督。初期にはヴィジュアリストとしての矜持が予算超過や撮影スケジュールの遅延を招くことも多々あったが、商業映画界で研鑽を積み、信頼のおけるメインスタッフを揃えた今では、望んだ映像を効率よくモノにできる地位についた。人によってはイマジネーションや工夫を殺すとされるVFXの進歩も、スコット監督には有利に働いている部分が多いように思う。少々乱暴な言い方をするなら、衣装のジャンティ・イェーツ、美術のアーサー・マックス、撮影監督ダリウス・ウォルスキーら「阿吽のチーム」が揃えば、スコット映画にとっての当たり前品質は保証されるわけで(少なくともルックス面では)、そんな中で監督の注力ポイントもまた、フィルモグラフィーに新タイトルが加わる度に少しずつ変わってきているようなのだ。
類稀なる映像センスで称賛を受けてきた一方、ストーリーテリング能力や人物描写の手腕については厳しい評価を下されることも度々あったスコット。ある評論家など「リドリー・スコット作品において“人間”が描かれたことは一度もない」とまで言い切っている(まぁ、20年以上も前に書かれた評なので、今ではこの認識に多少の変化が生じている可能性も無きにしも非ず)。そういった指摘への意趣返しなのか、はたまた単なる嗜好の変化なのかは知らないが、近年では映像美よりも人間ドラマに重きを置いた作品が(特に、前述の近過去実話路線において)増えてきている感がある。なんの前知識も持たずに『ハウス・オブ・グッチ』を鑑賞したなら、そこにかつてのスコット作品の“刻印”(ムード醸成のための雨や雪、濃密なスモークを貫く光の柱、ゆっくりと回るファン……等々)を見出し、かの監督の手による映画だと看破することは困難だろう。「ワンシーンにつきワンセット」的な贅沢セッティングは相変わらずだが、多くのシーンで画を支配しているのはアクターであり、とりわけレディー・ガガのカリスマは圧倒的である。
女帝に相応しいドレッシーな装いから、ライダースジャケット+デニムの擦れっ枯らしコーデまで、とにかく何を着せても似合ってしまうレディー・ガガ。生肉ドレスをはじめとする奇抜なステージファッション遍歴を考えれば、この着こなし力は至極当然というべきか。ポップミュージック界の頂点で培われてきたスター性も、〈グッチ〉創業者一族を崩壊へ導いた規格外の怪物・パトリツィアを演じるうえで確と作用している。本格的な女優としてのキャリアはまだそれほど長くないというのに、実力派キャスト陣を向こうに回してこれっぽっちも存在が霞まないのだから流石だ(むしろ、特殊メイクと奇矯なパフォーマンスで超絶危ういルートを蛇行するパオロ・グッチ役ジャレッド・レトのほうが、安定具合としてはかなり心許ないものがある)。時おり混ざり込む大映ドラマばりのソープオペラ風味でさえ、ガガというフィルターを通すことで臭味が大幅にカットされ、瘴気が残らない。映画のラスト、彼女がふてぶてしく台詞を放つ瞬間などは、悲劇的で救いのない状況でありながら、どこか晴れやかな感触すら覚える。“マザーモンスター”レディー・ガガの威光、ここに極まれり……といった感じだ。
たとえ実際の出来事が題材であったとて、作品を面白くするためなら時系列改変もエピソードの“盛り”も平気の平左で行うのがスコット流。その点は本作も例外ではなく、史実を歪曲・誇張して描いた部分があちこちにある(そもそも劇映画で、本来の意味での“実録”を達成することなど不可能な話なのだが)。そのせいか、モデルとなったパトリツィア本人や、当時を知る〈グッチ〉関係者からは映画への批判的な意見も多く出たようだ。確かに、本作だけを観て事件の全容を知った気になるのはまずかろうが、そこはあくまでスコット監督の目から見た虚実混在のピカレスク・ロマンとして楽しむのが良いと思う。映像派のヴェテラン監督と、今をときめくポップスター、巨星ふたりのコラボによる「べっぴん羅刹一代記」。一見の価値あり、だ。