2018年
監督:ジョー・ペナ
出演:マッツ・ミケルセン、マリア・テルマ・サルマドッティ
公式サイト:http://www.arctic-movie.jp/
白銀地獄の中に見た“生の輝き”
北極。マイナス30℃の白い荒野に、壊れたプロペラ機と、そこを拠点にたった独りで生き続ける男の姿があった。その男・オボァガードは、腕時計のアラームで目を覚まし、糧となる魚を釣り、救難信号を出すというルーティーンワークをこなしながら、救助を待っていたのだ。だが、ある日ようやく現れたヘリコプターは強風に煽られて墜落、女性搭乗者は重傷を負ってしまう。日に日に衰弱していく女の姿を見て、ついに待つことをやめ、自らの足で現状を打破しようと決意するオボァガード。彼は女をソリに乗せ、雪原を歩き始めるが、2人の行く手には幾つもの苦難が待ち構えていた……。
極限状況で生き残ろうとする人々の奮闘を描いたドラマ、いわゆる“サバイバルもの”にはアタリが多い。ウルグアイ空軍機571便遭難事故を題材にした『生きてこそ』(93年)、トム・ハンクスが尋常ならざる減量と一人芝居で長尺を引っ張る『キャスト・アウェイ』(00年)、大自然の猛威のみならず、殺気漲る他者との軋轢や凶暴な野生動物との死闘がサスペンスを醸成していた『ザ・ワイルド』(97年)に『THE GREY 凍える太陽』(11年)……映画以外でも、吉村昭の長編小説『漂流』(新潮文庫刊)や、TVアニメ化もされた岡本健太郎原作の漫画『ソウナンですか?』(ヤンマガKCスペシャル刊)など、このジャンルにおける良傑名作は枚挙にいとまが無い。100円ライター1つ、チャチな針金1本の有無が生死を分かつ厳しい環境下で、人が人ならではの知恵と創意工夫を以て生還を目指すというストーリーには、我々の心を強く揺さぶる力が宿っているのだろう。『残された者-北の極地-』も、そんな“サバイバルもの”のひとつとして容易に種別が可能なのだが、その語り口にはずいぶんと風変わりな部分がある。
本作は、オボァガードが遭難に至った経緯や、生活サイクル構築過程の描写をゴッソリと省略。手に汗握る飛行機墜落シーンも、試行錯誤を重ねながら徐々に環境に適応していくパートも無い。映画の冒頭で観客が目にするのは、「起きて、食べて、仕事をして、眠りにつく」という日課を既に確立させた主人公の姿だ。サバイバル映画のオイシい部分をあえて切り捨てたこの変則話法に、まずはいきなりギョッとさせられる。勿論、孤立無援の北極生活を優雅に過ごせるわけもなく、寒さや飢え、ホッキョクグマの出現といった不安要素がオボァガードの生命を絶えず脅かし続けるわけだが、本作における最もドラマチックな“うねり”は、自然や猛獣との直接対決場面よりもむしろ、主人公の心理的葛藤にこそ多く含まれているのだ。
物語中盤、北極の荒天に救出の希望を打ち砕かれたオボァガードは、己の命、そして刻一刻と容態が悪化していく女性の生命を救うべく、白銀地獄から自力で脱出する道を選択する。ただでさえ困難な挑戦が、怪我人を乗せたソリを曳くことでより一層過酷なものに。自分1人ならどうにか突っ切れそうなルートがあっても、迂回路を進むよりほかなく、そうこうしているうちにスタミナ残量はどんどん目減りしていく。共倒れという最悪の結末か、あるいはソリを手放して、自らが助かる確率を少しでも引き上げるか?しかし、オボァガードはこのどちらの選択肢にも必死の抵抗を見せる。今日までしぶとく繋いできた自分の命、むざむざ散らすつもりはない。だが、もしも女を見捨てた結果生還できたとして、俺の心には何が残るのか……劇中でオボァガードのバックグラウンドがほとんど明かされないことが、ここで威力を発揮している。名こそ与えられているものの、“名無しの権兵衛”に限りなく近い存在として描かれるこの人物は、観客が「自分ならどうする?どこまで行ける?」という思いを移し入れるための格好の器になるのだ。生まれや育ちなどというものは千差万別だが、オボァガードの苦悩には、誰もが身近に引き寄せて共感できる普遍性がある。万人が共有可能な葛藤、そしてその先に見える生の輝きは、こういう作品では特に鮮烈で尊いものとして感じ取ることができる。
オボァガードに扮するのは、今や世界各国で引く手あまたの名優となった“北欧の至宝”マッツ・ミケルセン。酷薄そうにも見えるクールな表情の奥底に熱いものを滾らせ、怪作『ヴァルハラ・ライジング』(09年)で台詞無しの難役を演じきったこの俳優に、此度の役はまさに打って付けだ。ミケルセン自身「今までで最も過酷な経験だった」と語るハードな撮影の成果は、完成した作品にしっかりと焼き付けられている。これが長編デビュー作となったジョー・ペナ監督にとっても、得るところの多い共同作業だったに違いない。サバイバル・ドラマの新たな傑作としてオススメできる1本だ。
映画『残された者-北の極地-』は11月18日(金)より、
新宿バルト9ほかにてロードショー