実話から着想を得た幻想的ラブストーリー、先行レビュー!
出:ユリア・イェドリコヴスカ、ガエターノ・フェルナンデス]
※注意:文中にネタバレを含みます。内容をお知りになりたくない方は、本編鑑賞後にお読みください。
残酷な現実を幻想の糖衣で包んだ、不思議な恋物語
シチリアの小さな村で、13歳の少年ジュゼッペが忽然と姿を消した。彼に思いを寄せる同級生のルナは、周囲の無関心や白眼視に抗いながら、ひとりジュゼッペの行方を追い続ける。少女と少年の心を繋ぐものは、ルナが失踪直前のジュゼッペに渡した手紙と「夢」だけ。長い彷徨の果てに異次元へとダイヴしたルナは、そこで遂にジュゼッペとの再会を果たすが、現実世界の二人には、あまりに切なく残酷な運命が迫りつつあった……。
実際に起きた誘拐事件をもとにした映画は、世界各国で数多く作られている。イ・ヒョンホ誘拐事件をモデルにした韓国映画『あいつの声』(07年)、名匠クリント・イーストウッドの淡々とした演出が観客の肝胆を寒からしめた『チェンジリング』(08年)、J・P・ゲティ3世誘拐事件の驚くべき顛末を描いたリドリー・スコット監督作『ゲティ家の身代金』(17年)……ここ10年ばかりを振り返ってみただけでも、リストアップすればかなりの本数になるはずだ。しかし、題材が題材なだけに、映画独自の改変やフィクショナルな要素の加味には細心の注意が求められる。ましてや、ストーリーに超自然的要素を織り込むことなど、作り手の立場からすれば大きな賭けに違いない(関係者の多くが存命しているような事件ならば尚更だ)。1993年11月にシチリアで起きた「ジュゼッペ・ディ・マッテオ少年誘拐事件」から着想を得て製作された『シシリアン・ゴースト・ストーリー』は、その大きな賭けに挑み、忌わしい事件を幻想的ラブストーリーへと変容させた意欲作である。
とはいえ、本作にはギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』(06年)や、J・A・バヨナ監督作『怪物はささやく』(16年)のような、メタフォリカルなモンスターは登場しない。タイトルに「ゴースト」なんて単語が付いてはいるものの、ありふれた日常に不吉な気配が忍び込んでくる様子は、元来勝気だが無分別というわけではない少女ルナの「妙に生々しい」空想の世界や、要所々々でさり気なく強調される音響、何者の眼差しか判然としない窃視的主観ショットなどで暗示されるのみ。いわゆるウラメシヤ型の幽霊が派手に怪異な現象を起こしたり、生者に祟ったりする類の作品ではないのだ。
そもそもこの映画のモデルとなったのは、実録路線で映像化するにはあまりに陰惨で無慈悲な事件である。マフィアが、組織の内情を暴露していた密告者の口を封ずるために、その息子を誘拐。2年以上にわたる監禁生活の果てに、衰弱した少年を絞殺し、亡骸は酸で溶かして遺棄……まさに人の命がゴミ同然に扱われた犯行であり、関連記事をちょっと読んだだけで心底ゲンナリさせられる。監督のF・グラッサドニアとA・ピアッツァ(共にシチリア出身)もこの事
件に心を痛め、歴史の闇に取り残されてしまった少年の魂を、映画という媒体を通して救済しようと試みた。監督たちが本作のために創造したキャラクターである少女・ルナは、ジュゼッペが失踪した後も彼の生存を信じ、愛し続け、精神感応で彼と「繋がり」を持つ。監禁され、外界との接触を断たれたはずのジュゼッペも、必死で自分を探すルナの存在を心で感じ取り、共に不思議な世界をさまよい、底なしの絶望に沈みかけたルナの魂をすんでのところで救い出す。実際には誰にも顧みられることなく、暗い倉庫の中で命を奪われたジュゼッペ少年……だが、少なくともこの映画の中では、彼にも心の拠り所があり、彼の身の上を案じる人物がいて、彼だからこそ救えた命が存在する。本作における超自然的要素の役割は、残酷過ぎた現実をフィクションの糖衣で包み、無辜の魂を慰撫すること。そして描かれる恋物語の結末は、悲劇的だがどこか前向きで、心温まる余韻を残す。
吟味に吟味を重ねて選ばれた若手出演者たちは、それまで演技経験がまったく無かったとは思えないほどの輝きを見せている。特に、最後までキャスティングが難航したというルナ役、ユリア・イェドリコヴスカの愁いを帯びた表情と目力が素晴らしい。このまま役者を続けていけば、いつか女優として大化けする日が来るかもしれない。まさに「ダイヤの原石」である。