バウアーは宗教や性の問題についてプライベートな悩みを抱えていた一人の普通のドイツ人
12月10日(土)世界人権デーに東京ドイツ文化センターにて行われた、フリッツ・バウアーの人権への功績を考えるトークイベント「フリッツ・バウアー:人権のための戦い」の様子をレポートします。
本映画は、長らく封印されていたナチス・ドイツ最重要人物アドルフ・アイヒマン拘束に関する<極秘作戦>の裏側の真実を濃密かつサスペンスフルなタッチで描ききり、ドイツ映画賞で作品賞、監督賞、脚本賞など最多6冠に輝いたほか、世界中の映画祭を席巻した映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』。
ドイツやヨーロッパ公開時に多くの動員を記録し、先頃公開されたアメリカ国内でも、ロサンゼルス・タイムズ紙が「映画全体に力を与えているのは、ベテランドイツ人俳優ブルクハルト・クラウスナーの説得力ある演技だ。彼はバウアーの熱狂的な強烈さを正確に捉えている。」と評した他、各紙がこぞって絶賛評を掲載するなどして話題となっているスリリングなサスペンス・ドラマです。
「フリッツ・バウアー:人権のための戦い」トークイベント
登壇者は、ローネン・シュタインケによって執筆された伝記『フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事総長』の翻訳者で、立命館大学の法律学者・本田稔教授とジャーナリストの斎藤貴男さんをお招きし、フリッツ・バウアーの成し遂げたこと、そして現代にも通じる人権問題について語っていただきました。
本田稔教授コメント
バウアーは、ユダヤ人の家庭に生まれ、優秀な成績を収め裁判官になり、ナチの時代に迫害され外国に亡命しなければならなかったけれども、戦後ドイツに戻りナチの追求に関わった人物です。なので、文字通りの典型的な戦闘的法律家だと思っていました。
しかし、実際のフリッツ・バウアーはそんなに単純ではありませんでした。同性愛者で、収容所を出所するためにやむなく思想を変えると誓約書にサインをしたこともあります。コペンハーゲンでナチの手先に捉えられたこともあります。また奥さんと結婚したもののずっと別居生活を送っていたことや、ユダヤ人ではありますが、実はユダヤ教に熱心ではなく、戦後はユダヤ教徒であることを隠した人物であることが映画や本で明らかになります。それがバウアーの実像です。だからと言って法律家としての戦闘性は否定されるものではありません。彼は“等身大”の戦闘的法律家で、宗教や性の問題についてプライベートな悩みを抱えていた一人の普通のドイツ人であり、特別な人間ではないのです。そういう普通の人物が過去と戦っているのです。
過去の歴史と向き合う彼の姿に自分自身を重ね合わせるとき、バウアーは私達にとって“等身大の人間”となり、過去の歴史も“等身大の歴史”となるのです。
ラース・クラウメ監督がバウアーに自分を重ねることでラース・クラウメはラース・“バウアー”になり、過去を見つめ始めます。ローネン・シュタインケもローネン・“バウアー”になり、また彼も過去を見つめ始めます。私もまた本田・“バウアー”となり日本の刑法史と向き合ってきました。歴史が等身大となったとき、その克服がひとりひとりの課題となるのです。等身大のバウアーができることなのだから、我々もできることはあるのではないか、今の状況に特に憂う必要はないのだと思います。
斎藤貴男氏コメント
ヒトラーが首相に就任した際、一国の法体制がすぐにでき、また同時に戦後それがすぐに崩壊されたとは思えません。
問題はナチス時代前後にはらんでいると思われます。日本でも戦後70年目にドイツで作られたこの映画を語るにもっともふさわしい時期ではないでしょうか。映画を見るとわかりますが、バウアーも決してスーパーマンではなく、等身大の彼の姿が映画には描かれています。ということは、等身大の人間でもこれだけのことができるのだから、我々もただドイツをうらやんだり、自分たちを哀れんだりする必要はないと思います。
『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』あらすじ
1950年代後半のドイツ・フランクフルト。
検事長フリッツ・バウアーはナチスによる戦争犯罪の告発に執念を燃やしていたが、未だ大勢の元ナチス党員が政治の中枢に残りあらゆる捜査は遅々として進まなかった。そんなある日、バウアーのもとに数百万人のユダヤ人を強制収容所送りにした親衛隊中佐アドルフ・アイヒマン潜伏に関する手紙が届く。アイヒマンの罪をドイツで裁くため、ナチス残党が巣食うドイツの捜査機関を避け、イスラエルの諜報機関モサドにコンタクトをとりアイヒマンを追い詰めていく。しかしその頃、フランクフルトではバウアーの敵対勢力が、彼の失脚を狙って狡猾な謀略を巡らせていた…。
2017年1月7日(土) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
(c)Lena Kiessler