(2002年 監:M.ナイト・シャマラン 出:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス)
水とバットと信仰と
世の中には、毒キノコを塩漬けにしたり、茹で溢したりして食用にする地域が存在する。そのまま口にすれば命にかかわるような代物でも、ちょっと手を加えるだけで高級食材に化けることがあるのだ。これは映画鑑賞においても同様で、観点をガラリと変えてみる(ひと手間かける)ことで、駄作(毒キノコ)と思っていた映画が傑作(食用キノコ)に大化けする場合がある。
本作の先行告知版ポスターを見た時、筆者の心は躍った。宇宙から俯瞰した地球の表面に、特大サイズのミステリーサークルが刻み付けられていたのだから。大げさでも何でもなく「こりゃついに地球侵略モノの真打が来た!」と確信し、やがてスクリーンで繰り広げられるであろう人類とエイリアンの大戦争を心待ちにしていた。
そしてついに日本公開。期待度MAXの筆者がシネコンで目撃したのは、トウキビ畑に囲まれた一軒家、アルミホイルの帽子を被ったホアキン・フェニックスと陰気なチビッ子たち、そして泣きながら晩メシを貪るメル・ギブソンの姿だった。スペクタクルのスの字も無い本編の「コレジャナイ感」たるや相当なもので、驚天動地のラスト(←「んなアホな!」の意)で映画が終わる頃には、当初の期待など忘却の彼方、意識は帰り道で食べる家系ラーメンのトッピングメニューに向いていた……。
……と、初対面での最悪な印象と共に、ただの超ガッカリ映画として過ぎ去っていく運命にあったはずの『サイン』なのであるが、劇場公開が終わり、レンタルビデオ店にソフトが並んだ時、どういうわけか筆者は本作を手に取った。その後も何度か借りた。やがてDVDを購入した。そしてつい先日、ブルーレイ版を買い直した……そう、この映画、一部の人間にとっては中毒性が極めて高かったのである。
思えば劇場公開時に味わった「コレジャナイ感」は、前述のポスターのような誇大広告や巨額製作費、出演者の知名度などから筆者が勝手に脳内構築していた作品イメージに因るところが大きかった。それが取り払われた今、本作がどう見えるかといえば「オフビートな家族漫才映画」なのである。
メルギブと子供たちが絵本を読みながら交わす会話のテンポや、テレビ特番で「ソレ」を目撃した時のホアキンのリアクション芸、グラスの水と元マイナーリーガーのフルスイングと信仰心が脅威を打ち倒すラスト(暗喩じゃありません、ありのままを書いてます)、もはや笑わそうとしているとしか思えない。監督自身も「ユーモアは本作の重要な要素」とメイキングで語っているので、あながち見当外れな鑑賞スタイルでもない。少なくとも、自称「面白い人」がドヤ顔で披露する漫才より、『サイン』で深刻な表情の面々が織り成すシリアス漫才のほうが、切れ味は数段上だ。
宇宙人・未確認生物を扱った特番やムック本の、あの独特のいかがわしさが好きな方には自信満々で推薦できる一本である。本作と似た性質を持った映画として、地球存亡の危機がロッジの便所で巻き起こる『ドリームキャッチャー』(03年)、エイリアンによる豪快な誘拐場面(のみ)に驚愕間違いなしの怪作『フォーガットン』(04年)も合わせてオススメしておきます。