(2002年 監:山田洋次 出:真田広之、宮沢りえ、田中泯、吹越満、小林稔侍、深浦加奈子)
堪え忍んだ果てに
山田洋次監督による「藤沢周平三部作」の第一弾。公開当時の宣伝や批評は、封建の世で理不尽に翻弄されながらも精一杯生きる主人公・井口清兵衛の姿に、現代社会のサラリーマン像を重ね合わせたものが多かったと記憶している。
下級武士の清兵衛は、一日の城勤めが終わると直ぐ家に帰ってしまう。妻を結核で亡くし、二人の娘と年老いた母を抱える彼は、家族を養うために畑仕事や内職をこなさねばならない。しかし本人は、周囲が思うほど自分の境遇が惨めだとは考えておらず、子供たちが日々成長していく様子を楽しそうに眺めている。自由主義的な思想も持ち合わせているらしく、「学問は何の役に立つのか?」と問う娘には、「学問を身につけていれば、自分の頭で物事を考えられるようになる。そうすれば、何とかして生きていくことができる」と説く。
だがその言葉とは裏腹に、自分の力ではどうにもならない事態が次々と清兵衛に降りかかる。幼馴染みの朋江に暴力を振るった酒乱の前夫と決闘をする羽目になり、その際に剣の腕を見込まれたために旧体制藩士を粛清せよとの藩命を受け、やがては戊辰戦争へと巻き込まれてゆく。たとえ意に反していても、抗うにはあまりに大きすぎる運命のうねり。ハイライトはやはり、藩から討伐を命じられた相手・余吾善右衛門との一騎打ちだろう。「主君のため懸命に尽くしてきた儂が、何故腹を切らねばならんのだ!」という善右衛門の叫びに、清兵衛は返す言葉が無い。相手の苦衷が痛いほど理解できても、なすべきことをなさねばならないのだ(清兵衛は土壇場になって善右衛門を逃がしてやることも考えるが、もし実行すれば当然身の破滅だ)。この場面、演じる真田広之と田中泯の身体能力はもちろんだが、シーン全体を覆う言い知れぬ悲壮感によって鬼気迫る凄味が生み出されている。
そんな重苦しい空気を纏いつつ、それでも本作が多くの観客の心を掴んだのは、主人公の清兵衛が日々を前向きに生きようという姿勢を決して捨てなかったからだと思う。堪え忍んで堪え忍んで堪え忍んで……ある時ふと、小さな幸せを見つける。苦難が積み重なるほど、感情移入の度合もカタルシスも大きくなる。朋江への恋慕の情をひた隠しにしてきた清兵衛が、ついにその想いを打ち明ける場面などはもう共感度最大値である(冷静に聞けば、亡くなった奥さんが少々気の毒になるようなことも言っているのだが、それまで清兵衛の我慢をさんざっぱら見せられているものだからシンパシーが損なわれることもない)。全てが終わった後に語られる「平和な三年間」は、清貧を貫いた清兵衛への、せめてものご褒美にも思えてくるのだ。
ズンッ、と一本気なストーリーに、手堅い演出。庄内弁の台詞も独特の雰囲気を醸し出している。個人的には、藤沢周平の原作を映画化した一連の作品群の中でも屈指の傑作であると思う。